讀者の領分
『みづゑ』第八十五
明治45年3月3日
■水彩繪具の談は吾々に取つて實に有益な御話であります、次號には水彩畫用紙の談が載せらるゝと云ふので私は早く次號が見たくてなりません、以後も尚ほ水彩畫材料品に付ての御話が段々と聞かせて戴き度くあります。
今日迄の『みづゑ』の口繪を見て良く書て有とは感しますが、吾等研究生の爲に一語書き落されてるのを遺憾と思ひますれは、此の繪は午前又は、午后何時頃畫いた物で其の時は晴れ又は、曇りと有れば尚一層研究し易いと思ひます、其れで『みづゑ』の或る一部分の地に今の事を御書き有らう事を切に御願ひ致します。(福井春帆)
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大下藤次郎死去に對して、悼辭を、又同人の紀念號を讀まれて感想文を、寄せられた諸君の厚情に對しては、大下家の感謝せられるところで、その文章は、成るべくは、本誌に載せて、好意に酬ひたいと考ヘてゐるが、さうすると、又紀念號ほどの、册子を出さねばならず、それは郡合が許さないので、止かなく登載を見合せ、永く大下家に保存して置くことにした、惡しからず思召して、いたゞきたい。
□本號に揚げた故大下氏の西洋畫の觀方といふ一文は、本文にもある通り、「文學界」雜誌のために、談話されたもので、素と々々「みづゑ」に掲げる意志ではなかつたのであるから、多少本誌の讀者には、重複の感じがあるかも知らぬが、「文學界」雜誌の主筆氏が、散人の遺玉として、芳情を以て、木誌に寄與せられたものであり、旦つは未だ世に公けにされなひ新篇であるから、この號に採録することにした。
□「問に答ふ」の一欄は、次號に於て本號分をも、併せて掲載する。
□中村不折氏、中澤弘光氏、戸張孤雁氏は、本誌の賛助員たることを承諾せられ、作畫又は寄稿を賜はることとなつた。
□次號には石川氏、眞野氏、鴉澤氏續稿の外に、中村不折氏、服部嘉香氏、茨木猪之吉氏、小島鳥水氏等の、美術に關する論説が出る筈だ。
□次號には、中澤弘光氏東海道五十三次、故荻原守衛氏遺作水彩畫、大下藤次郎氏遺作同上及び戸張孤雁氏所藏泰西名畫を、孰れも原色版として、挿入すべく、大下氏が遺稿なる珍ちしき畫日記も、出づべし。
□本誌は主幹者なる大下氏を失ってもう、記事が落寞になりはしまいかと、患ひてゐたが、斯道の諸大家が、本誌に多大の同情を賜はつて、續々寄稿や、注意をして下さるので、可なり變化の多い、多趣味なものが出來る見込みである、今までもさうであるが、どうか今後も見てゐていたゞきたい。
□三月號は發賣と同時に、全部賣り切れて、不本意ながら同號に對する注文は、謝絶してゐる、今號は増別して置いた。
□毎度言ふことであるが、振替貯金は、拂ひ込んでから多少の時日を經ないと、通知が來ない、通知の來ないうち、雜誌の催促が往々ある御注意を望む、それから代金拂込みの時は、必ず手数料一銭を加へて下さい。