水彩畫にホワイトを使用する場合

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第八十六 P.8-9
明治45年4月3日

 水彩畫にホワイトを使用する畫家もあれば、又全く使用せぬ書家もある、元より畫家の勝手ではあるが、今使用ずるに就て少しく注意の箇條を述べて見やうと思ふ。
 ホワイトを使用するには充分自信を以て立派に之を使用する時は面白い畫が出來るものであるが、不確實に、誤魔化し半分に使用する時は甚だ拙劣なるものが出來るのである、要するにホワイトも亦他の色彩と同樣に使ひ慣れぬと良いものが出來ない、誰れでも修正的に毎でもホワイトを使用されるものだなどと簡單に考へては大間違である、充分此繪具の性質と他の色と混ぜた色調の變化、其他種々なる關係に就て充分修得した上で、自信を以て使用するのである。
 空を塗るに、コバルトにホワイトを適當に混ぜて使用すれば一種の深味を示すものである、之はホワイトが不透明色である爲めに一種朦朧たる趣が出るからである、同じ譯で、遠景の山などにも少し混ぜて描けば空氣が能く現はれる、其他日光の照る地面、壁、或は樹木等へも多少用ゐても差支へはない、併し何れも他の色と混ぜて用ゐるので、ホワイト計りを用ゐるのではない、こうすれば一種の深味と重味とが現はれるのであるが、陰影の部分へは使用せぬ方が好いやうに思はれる、元來陰影の部分は凡て透明に澄んだ色調のものであるから、ホワイトを混ぜる時には、透明の感じが損はれて仕舞ふからである、即ち日向へはホワイトを混ぜてもよいが日影へは混ぜてはならぬと云ふのである、之も只大體の談であるから、使用して居る中には自然自分の經驗も出て、自由に面白く使用することが出來るやうになるものである。
 細い明るい枝、小さい草花其他何にでも水彩畫に於て最初に塗殘すことの出來ぬやうなものは、後からホワイトを使用して必要なるものを描くこともある、併し元來、最初に塗殘すことの出來ぬやうな小さなものは、一々描かずとも只だそう云ふ感じさへ畫の上に現はれゝばそれで充分であると云ふ考を私に毎も持つて居るのであるから、それを一々ホワイトで描く必要もなく、若し一々細かに描いたのでは反つて畫面全體の統一を損ひ、光や空氣の趣も壞はれ易いのであるから、蒔繪師が摸樣でも描くやうな工合にホワイトを使用することは私は感服しない。
 それ故ホワイトは修正の目的で使用するのではなく、更らに其以上の有力なる目的の爲めに使用すると云ふ考でかゝれば、決して萎縮した畫の出來ることもなく、誤魔化し畫の出來ることもない。
 下塗りにホワイトを混ぜた色を使用して描き、之が乾いた上へ、ホワイトを少しも混ぜぬ透明の色のみで描いても中々面白い畫が出來るものである、即ち上塗りが皆透明であるから一種の光澤と輕快なる趣が現れ、又下塗が不透明色であるために全體に上塗りのために、透明の趣が見へても、其中に一種の重味と深味とが現はれて誠に佳く見へるものである。
  要するにホワイトは強色で、充分の注意を用ゐぬときは徃々畫面の調和と發色とを損ひ易いものであるから、能く研究して經驗を積むことが肝要である。

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