海洋の描法
小_野三男四
『みづゑ』第八十六
明治45年4月3日
ラスキンの『近世畫家』が自然美について、詳細に研究してあることを、友人から聞いたので、素人畫家にとつて、如何であるかを問合せたのが、大下先生に接する始であつた、早速買求めて讀んで見た、素養のない悲さに、通讀は出來なかつたが、御すすめに由つて、大膽にも、雲といふ題で、一部分を譯して先生の手元に差し上げたのがみづゑに關係をもつ因となつて、其後大膽にも、水とか植物とか、水彩肖像畫法とかを掲げる樣になつた、匿名にしたのは、誤譯を指摘されるを、慚かしく思ふたからである、夢鴎生とか霧鴎生とかしたのは、先生が僕の姓名の頭字のMOといふのから撰ばれたのである、最初の寄稿が雲といふに因んて、白雲が赤城山の頂から、湧き出て、黄ばんだ平野の上を、一面に蔽つて居るスケッチ一枚を、恵まれた、今書齋の?間に掲げて、先生を忍ぶ料となつて居るのはそれである。
水に關する研究といふので、海洋描法の一部を差上げて置いたが、途に其特別號の發刊を見ずに、永眠されて仕舞たのは遺憾に堪えない。
海洋の描法を研究するには雲、波濤、風、船舶の形状、海上に於ける船の位置、帆の掛け方、帆の種類、明暗、彩料、傳彩、人物、構圖等に就いて綿密なる觀察が必要である、先づ彩料の用法を説いて段々に傳彩其他の項目に移ることとしやう。
コバルト
天空や遠方の海、山頭海角とかに多く用ひられる彩料である、彩色の乾いた上にバーミリオンか、ライトレツトで輕いウオツシをして變化を表はす事が出來る、調子の強弱はウオツシを繰り返すことに由つて任意にすることが出來る、若し強過ぎたなら、濕つた海綿で、其上を擦する、又餘り寒く靑過ぎたなら、バーントシンナの薄いのでウオツシをする。
プルシアンブリユー
海洋描法には、多く用ひられぬ、マダー、やインヂアンレツドに少量を混じて、中景の水色に用ひる、少し黄を加へると、良い灰色が出來る、これは暴風雨の空色として宜しい。
インヂゴー
月光を描くに用ひる、少量のランプブラツクを加へて、夜の雲、遠方の懸崖等に用ひる。少しのローアンバーやマダーを混じて、夜景の水色を畫く、少量のマダーを加へると、良い灰色が出來るマダーとバーントシンナを加へると、暗い岩石の色が出來る、ローシンナと雜ぜると、小舟をかくのにもよろしい。
マダー
多くの寒色と混ぜて、用ひられる、コバルト及び少しのエルローオークルと混じては、遠景の空氣を示すのによろしい。バーントシンナ及プルツシアンブリユーと混じては、小舟、動物の影、遠方の丘陵や、近くの水面を畫くに用ひられる。
バーミリオン
朝と夕空とに用ひられる、暴風の時も、静穩の日も、バーミリオン、エルローオークル、コバルトは趣めて良き結果を生ずる、雲のすこし暗味を帶びたのには、ライトレツドを加へる、バーミリオンとバントシンナ及びマダーを加へた、色は廢屋や、柱等に適せる色で、中景や極くの遠景にある、船や小舟を描くにもよろしい。
ライトレツト
コバルトと混ぜて、雲の暗い部分をかくによろしい、雲の光つた部分をライトレツトで、薄くウオツシをすると、穩かになる、影の色にもよく、インヂゴを加へては、良い灰色が出る。
エルローオークル
暖かい空、船の帆、礫岩、崖、建物等に、必要な彩料であるが、他の寒色とよく混じないから、他の彩料と鹽梅する要のあるるときは、其の色が、乾いた上に上塗りをすうがよろしい。
バーントシンナ
岩石、泥土の河岸、建築物等の暖かき色には、適當の彩料である、ブリユーと混ぜると良い綠が出來る即ちコバルトとでは、輝ける色、プルツレァン、ブリユーとでは、尚一層強い色が出來る、マダーを少し加へては、穩かな日でも浪立つ騒ぐ日でも、近い海面をかくによい。
ランププラツクや少しのマダーを加へては、古い柱、小舟等をかくによい。
マダーブラウン
コバルトと混ぜると、遠方の物體の影に適するランプブラツクを加へては、前景の近い所にある物の蔭をかくによい、ランプブラツクを混じても良い蔭の色が出る、そして錆びた錨、鎖等にもよろしい、又多くの赤色の蔭の色に適するが、遠くの赤旗等に用ひる時は、少しブリユーを加へるとよい。
セピヤ
單獨で、又はランプブラツク、インヂゴ、マダーと混じて、暗い前景の舟、近い浮標、海草等をかくに用ひる
ランプ、ブラツク
マダーやバーントシンナと雜ぜて、近景の暗い物體をかくに用ひる。
黄金色に近き暖色が、灰色と相對すると、一層輝いて純粹に見えて來る。
雜りなき灰色か、又は薄いパープルで、黄色の上を洗ふと、非常に爽快な、美くしき自然の色を得られる、靑色は其儘ではいけぬ、もし綠色調にするなら、オキサイド、クロミユームを薄く上塗りし、暖味を帶ばせ樣とならライトレツドで、薄くウオツシをする。
寒色は、靑色、パープル、灰色の數種である。
ランプブラツクは、華々しい色の強さを弱める消極的價値がある、併し黄色の上に用ひてはいけない。
輝ける黄色は、パープルで、褐色までに弱めることが出來る、強いパープルは、マダーとブリユーで出來る。
弱いパーパルは、インヂアンレツドとブリユーとで出來る。
豐かな強い褐色は、マダー、バーントシンナ、セピヤを雜ぜて出來る、色調を種々にするには、或はセピヤをぬき、或はバーントシンナをぬき、或は前三色の配合の割合を、種々に變更すればよろしい。
和蘭派の畫をかく人々には、此等の色は極めて要用である、靑色の上にランプブラツクを塗ると、灰色がかつた石盤色が出る、綠色の上に、セピヤを塗ると、心地良く綠色を弱めるが、一層眼に見えて弱めるにはランプブラツクを上塗するがよい。
傳彩
天空とか、雲とかを彩るには、小さい光部や、暗い處、及び主要なる事には、眼も呉れず、大膽にはじめるがよい。靜穩な有樣を畫がくには、空や雲にはコバルト、バーミリオン、マダーレーキエルローオークル等を用ひ水水を畫くには、前述の彩料を用ひて良いが、近景の水に船や小舟、浮標とかの物があるのでなくて、色調の強さ及び變化を、多少注意をする、若し船等のものがあつたなら、其等の反射をば、畫中の主部に置くのである其等の物の蔭影をば、其物の示す色で畫いて宜ろしいが、反射ならば、幾分空の色を帶びなければならぬ。
★圖の下部が、畫者に近づいてある場合には、反射が餘り暗くならぬ、この理は光が物體の下方に見える樣になるからである、併しこれも小舟とか、浮標とかの如く、物體が水中に餘り深かく沈まぬ場合のみである水面が、風の爲ために攪亂される時は、反射した形は破れてまとまらない。
暴風雨を畫くには、彩色に特に注意を要する。
大いなる輝きとか、力とかを示すには、對稱や反對の方面を工夫を凝らせば出來る、地平線に近い空や雲の色は、コバルト、ランプブラツクで出來る、ランプブラツクを薄いライトレツドで、ウオツシをすると、雲の光を現はすによい、斯かる遠くの雲の下にある海水も、同じ色でよろしい、遠くの陸地及び地上の物も、同色でよい、近い雲は、靑味が減じて、ブラツク、及びシンナと、少量のマダーが多くいる。
前景の海水には、其の上の空色に、インヂゴ、ローシンナを加へた色を用ひる、水面のハイライトは、天空の最も明かるき部分の色と、同じでなければならぬ。
水中への影は、暗い所は、インヂゴにセピヤで彩り、波頭の下方に透明を示す爲めに、少許のローシンナを用ひる。
暴風雨の時でも、靜かな日でも、船や小舟は、ランプブラツク、マダー、マダーブラウン、バーントシンナを距離の遠近に從ひ、種々に加減して描くが、極々遠方の船にはコルバトをも雜ぜる。
日の出と日沒
次の圖は、快晴の朝の日の出の色彩を示すのである。
1、ホワイト、ネープルスエルロー、ヴエルミリオン
2、ネープルエルローとホワイトの小部分
3、ホワイト、ヴエルミリオン、コバルト
4、少しのヴエルトミリオン、多くのコバルト
5、コバルト又はオルトラマリン
太陽にはホワイト許りを用ひる