教師室から

服部嘉香
『みづゑ』第八十六 P.23-24
明治45年4月3日

敎師室から服部嘉香
 暖か過ぎたり、寒かつたり、ずゐぶん不順な時候ですが、お變もありませんか。今日のやうに、霧がしつとり下りてゐて、柔かな日光が泣いてゐろように、霧の中に浸み込んで、家屋や木立の輪廊がぼんやりしてゐるのを見ると、そぞろに大下先生の繪に表はれた心持が偲ばれます。
 

雪の朝榎本滋筆

  お約束の原稿が、遲くなつて濟みません。三月號にも、亦間に合はない事に、なつてしまひました。すでに一度違約をしたのですから、今月は何うしても、早く書上げばならぬと思つてゐたのでしたが、思ひがけ無い用事が出來たので、とうとう、又御佗びをせねばならぬ事となりました。
  學校で眞野さんにお目にかゝる度に、いつも「今度は書きます」と言つたのでしたが、此の八日に、私どもの舊藩主の御老公が、おかくれになつたので、舊藩士は毎日のやうに、松山から上京しますし、私ども在京の人々は、それぞれの仕事を休んだり、仕事の時間中を都合したりして、毎日お邸へまゐつて、色んな用事をして居ります。私もお通夜をしたり、お手傳ひなどをして、宅へ歸る時は、いつも夜の十一時。十二時で、原稿も手紙も書く事が出來ません。それに此の一週間は、電車に乘つてゐる僅かな時間の外は、全く讀書を廢してゐるやうな次第です。
  十八日に芝の增上寺で御葬儀があります。私は接待掛の役割で、當日は朝の六時までに、お邸へまゐります。御埋棺を終るのは、多分夜の八時頃にもなりませうか。こんな次第で、雜誌の原稿〆切時間たる月の中旬を、一向落ちつく折もなく過しましたので、とうとう「みづゑ」のも間に合はなかつたのです。
  ウイルヤム・ナイト氏の『美の哲學』と題した上下二册の中、下巻の「繪畫論」を抄譯しようと思ってゐるのです。極く平易な、要領を得た記述で、新説といふものでもありませんが『みづゑ』の讀者諸君に、多少とも參考になれば結構です。四月號から必ず「繪畫美學」と題して連載します。
 赤阪の三會堂で『白樺』主催の展覽會があります。ロダンの彫刻も、實物が三個來てゐるそうですから、是非見に行きたいと思ってゐます、今日にもに行つて、感想を書いてさし上げたいのですが、時間の都合が惡いので、其れも出來かねます。
  一寸お佗びと存じ。くだらぬ事を書いてしまひました。何うそ惡しからず。(二月十六日)

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