下藤次郎氏の繪日記
『みづゑ』第八十六 P.24
明治45年4月3日
故大下君は、至つて丹念な人で、あの忙がしい最中に、缺かさず日記をつけたり、紀行丈を書いたりしてゐる、紀行文は歿後も、遺稿として本誌に出したことがあるが、日記に至つては、繪ばかり、之れも粗末なナモ帖に、鉛筆で至極あつさり、スケツチがして、日附があるばかり、どうかすると、目を惹いた野外の植物などを、寫生した傍に、その名や、色彩を註してあることがあるが、その外は何も書いてないのが多い、ツマリ、人に見せるためでなく、自分一人の憶ひ出の種にしたのらしい、人物なども、同君には誰といふことが解つてゐて、他人が見ると解らぬ、その日記は十數冊あるが、こゝに三十九年四月の日記から、五枚ばかり切り取つて、寫眞版にして掲げて置く、もつと面白いのがあるのだ、四月といふ月に重きを置いたので、こんなものが出來た。