川より
石田桂雨
『みづゑ』第八十六
明治45年4月3日
○私の國に山國です。||私は海を知らんといふではないですが、唯、くらい帆の影のチラチラとする沖を得心する迄味つて見たい、漁村の臭みを嗅いで見たい、泥をかついた蟹の出入する石垣の上で、鯊釣の辯當に舌鼓を打ちたいといつた漠然とした考と、水の研究といつた高尚な問題とか、ゆくりなくも折合がついて||近頃の情意投合つてんでせうか||せめてもの心いせと、唯今、川へ參りました||川||櫻の露の滿ちたといふ吉野川です。
○午後一時、夏のまさかり、私は背から浴せられる光線を凌ぎ凌いで、一町余もある石原を橫ぎりました、蓬がもう息も絶々になつてゐます、日光が飽までもと、男性的なオーダシヤス電強い力で磧を射て、陽炎かモヤモヤと立つてゐます、白い石がギラギラと光ります、私は波のサラサラとよる汀に佇みました、川は滔々と流れてゐます、川は西流してゐます、川向ひには東西にかけて、川を覆ふ樣に竹籔が連ってゐて、此方岸は廣い廣い石原です、私の佇むだ所は、瀨の落口から六五間下です、瀨は丁度漏斗の口の樣になつてゐて、廣く油の樣に流れて來た水が、此の口へ來て瀨となるのです、廣く平らに流れて來た水が、急に集まつて、ザーツと一際立つて、面白い歌を嘔います、
○太陽が七十度程の角度で、水面を射てゐました、私の眼は日光に輝く瀨の落口に移りました、ウオルトラマリンの一刷毛かとも見た空に、中景の水が、平和な讃美を漏らしてゐるかの樣で、輝のあるコバルトにレーキを浮べてゐるのでした||私の眼には、此時中景が明るかつたので||瀨の落口は單純なホワイトと見ましたが、中々、瞳を凝らぜばプルツシヤンブリユーや、ガムボーヂ、レモンイエローなどが潜んでゐるのです、その兩端はパープルを彩どつてゐますし、小石に碎ける波と波の間は、フックリとした、豐かな色調が現はれてゐました、遠い水や籔影はインディゴーの閃がありました、
○北の山から崩れ崩れた雲の峯が、雲の峯を吐き出して、牡丹の花片の樣な團雲がコロリと太陽の前に立ふさがりました、と、急に、前景から中景にかけて曇りました、遠景の樹林は雲の景から漏れた光線に輝いて、鮮やかなサツプグリーンが浮出しました、蔭つた遠くの樹は黑ずむでゐます、前景がいやに暗く内やゝセピアの加減も交つてゐましたし、シトリーンが沈むでゐました、瀨の落口から上は思ひのまゝのインイデゴーの活動が見へました。
○やがて雲の東漸と共に、遠景は太陽から疎んぜられて影りました。前景が十分の明るさで、今度は瀨の落口は、前の丸みが全然かけて至極單調な趣になりました。
〇一瞬一刻、須臾にして變じゆく此の自然の美妙な色彩にウットリとして、この偉大な變化を心行くばかりに味ひました。パナマ帽の隙を漏れた夏の氣が、多大の壓迫を私に加へると思ふと、ダラダラと汗の流れるのを覺へました、ドレ一汗流して・・・・・・と立上りますと、今迄氣付きませんでしたが、上流から下流の淵にかけて、銅色の背が波のまにまに戯れてゐるではありませんか、堪りませんね、パツト手速く脱衣しましたね、ソシテサッとばかり波を破りましたね、此の間の消息は實に圓轉滑脱ともいひませうか、私は波に任せて二町程流れ下りました、そここは水がドンと向の崖に當るので、淺瀨から急に、湛然たる淵となるのです、蛙が水に浮いた樣に足をグンと下げました、エメラルドの匂がします、やがて向ひの崖につきました、崖には水中に僅かばかりの足揚か出來てゐます、岩です、そこへ立ちました、美くしい水が、私の足をめぐりめぐつて流れます、川は方向を?に更へて南流します、崖の上一丈ばかりもあるでせう、撫子などが咲いてゐます、ですから私は蔭の所に立つてゐたのです、私は目を移して足を見ましたすると、左の足の大腿部||水の當る部分がバーントシーナの淡い彩色で、その蔭影になる部分は、ウヲルトラマリンとプラツシヤンブリユーとの混色が極々、鮮明に現はれました、唯關節の最も大なる陰影のみが、矢張強いバーントシーナにライトレツドの閃でしたここで十分餘も立つてゐましたらう、向の筏の上に遊んでゐる小供の聲がハツキリと聞えます
「あの人は何を見てるのだらう」
○今度は向ひ岸に渡つて磧原に坐りました、私の地平線は殆ど水面に近いのです、
先の雲がいつしか東に立つて、虚穹唯何らの妨もありませんでした、白日は、意のまゝに振舞つてゐます、碧潭一里、水は夢みる見の笑顏の樣に、小い唇を動かせてゐます、蒼穹が靜な水に移りました、水面は鮮かなパープルで影の部分がバイオレツトに彩どられました、波も立たず閃もない、私は磧原を東にポツポツと歩みかけました
それでは筆を止めますよ御免||(大和、石田桂雨)