新年會の前後 下

スエ
『みづゑ』第八十六
明治45年4月3日

 晝の支度をして歸つて來た時には、もう澤山の人が下の畫室にっめかけて居ました。
 二階へ上ると(歡樂の鬼)のけいこをやつてゐて、O君がそれを直してゐました。
 0君は一日の暇を得て、見物がてら手傳ひに來てくれたのです豫定の一時にはどうせ始まるまいとは思つて居ましたが、二時も過ぎて大體の順備は出來ましたがまだ始める事が出來ませんでした。それはかねて賴んで置いた鬘屋が來なかつた爲めなのです三暗近くなりました、まだ鬘屋が來ません。然し御客樣はもう會場にすつかりつまつてしまつて、みんな余興の始まるのを待つて居られます。
  二階から開會をうながす拍手が聞えます。
 御客樣係りのY君やM君からはまだか、一まだかとさいそくされました。私達も全く氣が氣ぢやありませんでした。
 でもう窮したあげく、鬘のいらない大久保連の喜劇から先にやつて其間に(歡樂の鬼)の仕度をして居たら、そのうちには來るだらうと云ふので、兎も角も始める事になりました。第一はハーモニカ、ソロです。其間に大久保連の仕度をするのですが、大久保連は一人も自分で化粧が出來ないといふので、芝居氣のある0君や私は扮装掛を云ひつかりました。
 其中に二階に拍子が聞えました。あゝ開會のだなと考へながら私はZ君の顏にお白粉をつけました。
 ハーモニカ・ソロ||曲藝||ハーモニカ・ソロー」喜劇(五圓札)||だんだん番數もすゝみました。鬘屋も來ました。
 (五圓札)が終り。S君のこしらへが出來ると、呼物の(歡樂の鬼)でした。その間に私は次の(老いたる旅人の使女)の粧をして置かなければなりません。だれかに手傳つてもらほふと思つたけれど、誰も彼も二階へ行つてしまつて、殘つたのは(老いたる旅人)に出る人々ばかりてした。私はおぼつかなくも一人で化粧に取りかゝりました。
 開幕中は二階もしづかですし、樂屋の中の人々も名々默つて顏をつくつてゐます。あらしの爲の風の絶え間の樣な靜けさの中に、私は鏡にうつる自分の顏の異つて行くのを不思義なものの樣に見て居りました。
 Y君の顏もKさんの顏もずい分かはつてしまいました。髪や鬚を白く塗つて深いしわを作りますと、さしづめジヨン・ガブリエル・ポルクマンが二人出來上りました。
 そうして居る所へ(歡樂)の連中がどやどやと這入つて來ました。そして最初に出るAさんとKさんは二階へ上つて行きました。
 しばらくすると私達の出になりました。私は鬘が駄目なので、 頭に白い布をかぶつて二階へ上りましたら、確にあつたはずの脚本が見えません。
 さあ私は弱りました。白だけはどづやら知つて居ても、まだ出の所がよくわからなかつたものですから||。然し其の場合ぐづぐらしてはいられません。幕のかげでY君に一通り敎へてもらいました。
 舞臺ではKさんの第一の旅人が窓ぎわの獨白が終りました。私はY君を導いて舞臺に表はれました、「彫刻的に々々々々々」とそう考へながら||。二三の對話ががあつて、旅の詩人は「酒をくれい」と云ひます。私は命ぜられるまゝに上手に這入りました。
  酒の瓶をもつて再び出て、卓の上の盃につがうとしました時、人々の眼はすべて私の手にそゝがれて居ました。
 パッと強い光が私のまわりを飛びました。其刹那に私は「寫眞だな」と考へましたものゝ、あまり不意だつたので、ちょつとよろめきそうになりました。
 「赤い酒だな。これは何と云ふ酒かな。」
 「赤い酒で・・・。」云ひかけて、はっとしましたがもう遲い。えゝまゝよこう云ふ時に舞臺度胸を出すのだと思つてそのまゝ言葉をつゞけました。本當は「唯の赤い酒です」を云ふのでした。Y君も一時まごついたらしく私の顏を見上げました。それで私が一寸合點々々をして見せたら、Y君も先をつゞけてくれました。
 その外その幕の内にいろいろお客樣には見えない失策がありました。F君の老婦人の持つて出るべき燭臺の足が大きな音をたてゝころげ落ちた事。鐘の音や晩歌のしらべの出し所にまごついた事、ことには窓外の暗を表すつもりで、窓にしてある紙片を私がぬき取って、舞臺の上のKさんやY君をまごつかせたなどは一番の失策だつたでせう。
 幕になつてから。も一度舞臺面の寫眞を取って、私は急いで下りて來て樂屋に這入りました。そして私の(ねんねえ旅籠)の扮装に取りかゝりました。顏のお手本は(寂しき人々)のヶーテ。チツケラートでした。
 自分の顏を作つて、Kさんの顏を作つて居るとコルニピーネー||女中||のG君が來ました。見れば赤つ毛で、眉毛は薄く、そして頬つぺたは赤くそめた、太つちよの毛唐の娘は、まことに申分の無い化物でした。
 「やあ化物々々」
  「素的な化物だなあ」
 人々はG君を取りまいて口々にこう云ひました。
 二階ではL君のダルマ・ダンスをやつゐました。賑やかなオルガンの音と笑聲や拍子にまじつて、いつものドタリバタリの足音が手に取る樣に聞えました。
 私は胸の所へ乳房を入れてスカートを着けるとすつかり出來上りました。
 「畜性美い女になりやあがつたなあ。」
 「よいしよやけます。」
 其内に出のしらせがありました。私達は二階へ上つて行きました。
 私の家はすつかり出來て居りました。眞中の大きな窓から來るおだやかな光は植木鉢のシダをくつきりと見せてオルガンの中には二枚の日本の錦繪、其他に二三枚、水繪や油繪の額が壁にかかつて居ります。
 K君のフロツクコートを借り着した。私の夫は、窓ぎわの机によつて手に封を切つた手紙を持つて居りました。私は少しはな`れて腰をかけて、膝の上に縫取をしかけたハンケチを持ちました。
 幕の外ではY君のマネーヂヤーが説明して居ます。
 Y君が這入つて來るとーーヂヾ・・・・・・。と幕があがりました。
 私達はそれから獨逸の或る家に起つた二日間の出來事を演じました。
 第二場。第三場。順に終つて樂屋に歸るともうがつかりしてしまひました。
 終りの(平維盛)はもうやる人々がだれて居ました。唯好い加減にお茶をにごしたと云ふまでです。
 然し其次の大久保連の喜劇は大相よかったそうです、それで新年會は打ち出しました。
 新年會のあと二三日は誰れも彼もぼんやりしてると云つて居ました。
 四五日たつた或日O君から私のもとへ手紙が來まして、それには次の樣な事が書いてありました。
 「今日は愈病人も室内の運動を許される樣になりましたので、少し余暇が出來ましたから先日の余興に付いて思い付いたまゝを書いて見ます。
 研究所へ行つてまだ始まる前に舞臺を見た時は觀客席が暗くなつて居て、舞臺だの瓦斯の光りが靑や輝いてゐた爲か、ちんまりした感じの好い舞臺が出來たと思ひました。
 然しいよいよ開幕して觀客席へも瓦斯をっけると始めの感じは大分無くなつたやうでした。
 ですが幕ごとで其感じもいろいろでした。(五圓札)の時は忙がしいので主人の歸宅から腕おしまで見ましたが大變舞臺が廣く見えました。
 そして中々面白く見ました。K君の主人のあのお芝居的のこなしが生きて見えてはまり役でした。Z君の手代も上出來でしたが物の喰ひかたに少し工合の惡い所も見えました。M君の役に中々無圖かしい役でしたが巧にやりました。只歩き方が氣になりました。總じて成巧です、ことに腕おしなど非常に受けました。
 (歡樂の鬼)ばバックの後で本讀みをしてゐたので少しも分りませんでしたが、何でも幕切れの所が大層よかつたそうです。F君の聲がふるへて來た時は(高島屋)と、どなりたかつた。(老いたる旅人)これは斷じて見落すことは出來ないと思つて始めから終りまで見ました。見て房ても嬉しさに胸が波立ちました。
 觀客もあの時ばかりは咳一つしなかつたは有難かった。
 僕の代理としてL君の旅人はこれも僕なんぞの及ばない所がありました。急の代役の爲に多少の絶句はありましたが、それは僕の樣に全部を暗んじて居る者が見ての事、知らない人には必らず分からなかつたでせう。
 落ちつきのあるしつとりした聲があの役を生かした一つの原因です。K君が代つてくれたのはあの脚本の爲に嬉ぶべき事でした。Y君の旅人も無論上出來でしたが唯二人共黑いマントが少しバックと見分けがっかなすぎた樣に思ひます。F君の婦人も結搆、君のお説の通りも少し芝居をしたら猶よかつたでせうこれは鬘のせいですが、かりがねがとうも氣になりました。時々橫に向いて燭の火に下から顏の半分は照らさせたのは趣くよい思ひつきで非常に夢幻的の感じを深くしました。二人の使女も此の感じを大變助けて居りました。
 第二の旅人の出た時K君の原の場所へ戻るのが少し早かつた樣です。二人のマントが如何に黑くても、燈火はあれより明るくてはいけません。中々面白面白見ました。
  KT君の歌にA君のオルガンこれは本物です。それにA君のなりが大變よくうつりました。
 それから(ダルマダンス)幕の開いた時A君の白衣とあまり濃くない赤いダルマとが瓦斯の光に非常に美くしく見えました。ダンスと云ふより寧ろオペラと云ひ度い位よかつた。
 (ねんねん旅籠)此の時と(ダルマ)の時が一番舞臺が廣く見えました。そして明るいよい感じ||恐らくは君の考へてゐた感じだつたでしよう。先生方の席で自由劇場のやうだと云ふ聲が聞えました。
 残念ながら二幕迄で歸つたので分りませんが一日中であれが一番の出來でした。
  役々は總てが豫想以上の出來でした。K君の主人、顏もつくりも聲の調子迄其人らしくてよく。君の妻君亦然りだ、只難を言へば乳のふくらみがも少し上へ行つて欲しかつた。姿は大變ほつそりして理想的でした。G君の下女、これは脚本ではやせてるとかですがあの場合、かへつてあの位の方が好いだろうと思ひます。立てかち見ても橫から見てもあゝ云つた風の下女らしくてよいと思ひました。只三幕目を殘したのでG暦の活躍するのを見なかつたのは殘念でした。C君のクラーーゼンはなりだけ見ましだがこれも思ひの外でした。
  シユマールペルクの時のトソチンカンの對話。「お前に少し聞きれい事があるがね」と云ふ六敷い所などしつくりと合つたし幕切の天花紛の工合など素的でした。あの劇ばかりは一日中で一番見でがありました。また素人ばなれがして居りました。
 これに御世辭ではありません。皆の定評です。
 何しろ此度の劇で我々がやるには暗いものより明るいものゝ方がよさそうに考へました。
 兎に角デッサンの合間にやつたものとして望外の成功でしようくだらない事を長々と失禮。
 諸君によろしく寫眞が出來たら是非ね。
 S樣
 0より

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