編輯たより


『みづゑ』第八十六
明治45年4月3日

▲前號にはわけの解らない誤植があつた、鵜澤四丁氏の續三脚物語が、績三脚物語などと、不通なものになづてゐた。
▲最も甚だしいのは、ロダンの彫刻品三萬圓とあるのが、只の三圓と植ゑてある、日本の活版屋は、みんな大金持だから、大方三萬圓が、三圓ぐらゐにしか。見えなかつたのだらう。
▲岩村透氏、岡野榮氏、岡田三郎助氏、吉田博氏、藤島英輔氏は今回本誌の賛助員たる事を承諾せられ、作畫又は寄稿を賜はることになつた。
▲豫告は豫告であるから、多少の相違を免かれなくなるが、次號には岩付透氏婆寄稿して下さる筈である、その外に、今解つてゐるのは、織田一麿氏の「装飾藝術に就いての話、」服部嘉香氏の「繪畫美學」山崎紫紅氏の「劇の背景」等である。この外に、なほ目下交渉中のものが數篇ある。
▲上記の外、既に脱稿して、編輯人の手許にあるものは、赤城泰舒氏の「白樺と綠色の流」水野以文氏の「頬杖小言」等
▲挿繪としては、中澤光弘氏の「山形風俗」吉田博氏の「流球風景」赤城泰舒氏の「綠色の流」及び故大下藤次郎氏の遺作等の原色版數葉並に有名なるニコルソン氏筆の木版畫を掲載の筈
▲需供案内は毎月十五日限り〆切の事
□本話に多大の同情を有せらるる法學士渡邊六郎氏は今回歐洲漫遊の途に就かれた君が繍膓錦思は折り折りの消息となりて本誌に顯はる筈に候。
□丸山晩霞氏に彌々滞歐の彩管を收めて四月下旬倫敦を出發故山に向はるる由に候へば遠からず氏が雄健の筆は彼の地の新空氣を齎して萬丈の氣焔を本誌に掲げらる可く今より囑望に堪えず候。
□日本水彩畫會研究所講師岡精一氏御令閨には彌生半ばに御逝去あらせられ候此處に謹んで哀悼の意を表し申候。
□新潟縣長岡市下中町六十四鈴木鐵次氏は今回本正會友として入會致され候。
□本號口繪『椿』は、ワットマン八ッ切大にして、庭の一隅を、寫生せられしものに候。
□『ハドソン』は故萩原守衞氏滞歐中の作品にて、ワットマン八ツ切大に候。
□ドロマイト山(ジイネ作)は、本號所載、小烏水烏氏『山岳の水彩畫家』を參照せられたく候。
□寫眞版『雪の朝』は、榎本滋氏の作にして日本水彩畫會二月例會に出品されしものに候。
□前號原色版、水野以文氏作『池畔の森』は、不出來にて、原畫の趣を失ひ申候。
□會員の方にて、批評を乞はるゝ送畫には、可成、詳細なる説明を、附せらんことを希望致し候。
 中には、説明不充分の爲、批詳に非常に困難なるもの有之候。
□日本水彩畫會二月例會は二十五日午後より開會出品點數百三十點岡、永地、眞野氏の批評並に有益なる講話有之候デッサンのコンクールにては人體部にては後藤工志氏石膏部にて硲伊之助氏各受賞せられ候

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