装飾藝術に就て

織田一磨
『みづゑ』第八十七
明治45年5月3日

 装節藝術に就て、何か述べないかとの御話でありましたので、自分の淺薄な知識から、出來ないながらも、御請合はしれものゝ、題目が廣過ぎるので、一寸困つたやうな譯でした、それで今は、只其全般を極かいつまんで述べてみまして、其内感興が向きましたら、或一つの小問題を、つかまヘまして、細密に述べる事と致しますから主不悪御一覧の程を願ひませう。
 装飾藝術を二大別して装飾的繪畫、=と=圖案=に分類しまして、それでその二つに就て、自分の意見を云ふ位が、今の自分としては、關の山であります、それより立入って論ずるのは、何れ充分研究を重ねました上の事でありませうと考ヘますから、其邊で終りと致してをきます。
 要するに不用意で書いた文でありますから、缺點は至るところに發見するでせうが、一重に御見逃がしを乞ふような譯です、自分は又日本の現在の圖案に就ても、相當な意見を持って居りますが、其れは目下起稿中でして、他日新聞か雜誌の上で、發表しますから、其時に御覽を願ふ事としまして、本文には極大略を申す迄に止めてをきました。
 それから自分は圖案と云ふ物に就ては、人間の毎日食ふ三度の飯のように、是非共社會になければならぬ必要な藝術と、心得て居るので、決して贅澤な、無く共好いものとは、思つて居ないのです、むしろ、純正繪畫よりも、先に圖案の發達を計るのが、目下の日本として、得策であらうと思ふ意見もありますが、其れも他日の事としてをきます。
 一、装飾的繪畫と純正繪畫
 今自分が装飾藝術を述べるに先連つて、其順序として、純正繪畫と装飾的繪畫に就て、一言述べてみたいと思ひます、現今欧洲の分類法によりますと、純正繪畫と装飾的繪畫の別が、只技巧の方面からばかり論ぜられて居るやうであります、純寫實的見地にある畫家の作品は、これを純正繪畫と稍し、多少デコラチューヴの技巧を執る人々の作品は、總べて装飾的繪畫と見なすやうに思ひます、彼の英國で有名な畫派のプレ・ラフアヱリストの人達の作品や、色彩の調和に微細な感覺を有つて居るホヰスラーの繪畫でありますの、アルマ・タデマの美人畫や、強い色彩と強い筆を使ふヴランギンの繪畫の如きも、装飾的繪畫の部門に組込まれて論ぜられるやうです、我國の洋畫界に装飾的繪畫に筆を染められる作家を求めましたら、去年の文展に『水郷』を出された小杉氏や藤島氏(武二)の如きも装飾畫に筆を執られた事のある人です、其れから故人の青木繁氏の『海の幸』や『わだつうみいろこの宮』のような畫も又装飾的繪畫の部門に這入る物でありませう、併しこれ等の作家も、平生は装飾的繪畫にばかり、筆を執るのではなく、或る特殊の場合の外は、大抵純正繪畫の作家であります、要するに我國には未だ装飾的繪畫に、專心熱中する純装飾的繪畫の愛好者は、ないやうなものです、とても英國のプレ・ラフアヱリストの人達の、足元にも追着けないのであらうと思ひます、我國の畫家が、時折装飾的繪畫に筆を染めるのは、一時の出來心で、興味本位で出來たものが多いのでせう、自分はそんな樣な、不眞面目な態度でなく、全く装飾的繪畫の、藝術的價値を認めて、此の方面の繪畫に筆を執る畫家の出て來るのを、待つて居るのです。
 二、装飾的繪畫の藝術的價値
 それで、装飾的繪畫が、純正繪畫と、どれ丈の藝術的價値に相異があるかと云ふに、純正繪畫と全く離れた方面に、此の装飾的繪畫の、眞價があるのであらうと思ひます、内容の相異は、やがて形式の相異に連れて居るのです、私の密かに思ひますには、寫實の繪よりも、反つて、装飾的繪畫の形式を執つた作品に『人生の爲め』の藝術はあるように思ひます、例ヘば我國の作品に就て、適例を求めましたなら、彼の有名な大和法隆寺の壁畫のような崇高な感じや、神秘な感じの畫は、純正繪畫‥‥‥特に近頃の色彩本位の歡樂情調の繪畫には、全く無い氣分であらうと思ひます、以太利の宗教畫でも、それから印度アジヤンタの佛畫でも、總べて法隆寺の壁畫と同じく、装飾的な技巧を執つて、描寫してあるのをみましても『崇高』とか『神秘』とか云ふ宗敎的觀念から來る感情は、この装飾的繪畫の特質かと思ひます。
 獨のベツクリンの『死の島』の繪でも、多少デコラチーブな技巧を窺ヘるでありませうそれからピユビストシヤバンヌの繪も、装飾的技巧を以て、多く宗教的畫題を描いて成功して居るではありませんか、一概に論斷するのはちと早計かも知れませんが、先づそういふ方面に、装飾的繪畫の價値は、認められたいと思ひます。(此の装飾的繪畫と、純正繪畫の内容に就ての論は、他日充分の研究をした上で、再び論議してみたいと思ひますから、今はこの位でよしてをきませう。)
 三、装飾的繪畫と圖案
 混同されやすいのは、装飾的繪畫と、圖案の區別であります、装飾的繪畫は、前に述べましたやうな、深い内容があります他に、一枚の立派な繪畫として、存在を認められて居るのですが、圖案の方になりますと、技巧の形式は、多少似通つて居りますが、圖案は或る一定の約束がありまして、全く自由ではありませむ、其れに丙容も至つて淺く、唯單に美感を、觀る人々に與ヘれば、其れで足りるのでありますから、氣樂さも氣樂で好いのでありませう、圖案は或る物品に附随してのみ、成立するものでありまして、實用と云ふ方面から見ましたら、日常缺く可からざる實用の藝術であるのです、元祿時代の名人尾形光琳の如きも、圖案家として立派な人であつた事は、今更述る迄もないことでありますし、其遺作も、藝術的價値に於て、決して佛のベルネールや其他の人々と競べて、優るとも劣るやうな、作品ではありませむ、圖案家としての光琳は、装飾的繪畫を描きたる光琳よりも、むしろ數等上にあるようです、彼れが美術工藝に盡された功績は、偉大でありました、彼れの作品は、日本の許りの一つてありませう、話が横路に這入ましたが、元にもどりまして、前述の樣な譯で、圖案は何物にか附随してのみ、効果が現れるのであります、例へば室内装飾なれば、室内と云ふ物があつて、始めて圖案の存在があるやうに、衣服と云ふ物が出來て、紋樣の必要があるやうに、何物にか附隨して、始めて圖案の効呆があるのでありませうと思ひます、決して圖案のみが獨立して藝術と見られるのではありません、其邊が装飾的繪畫と、離れて居るところであります。
 四、圖案の生命
 圖案の生命は、何にあるかといへば客觀的に美感を與へると云ふのが生命なのでせう、人々に美と云ふ觀念を起させるのであります、俗な言葉でいふと總べて美化するのです、本の表紙のやうな物も、實用から見れば單に題字だけ活字で印刷してあれば、何の本と云ふ意味は通じるのですが、其他に色彩華やかな模樣を描くこれが圖案の生命で、觀る人に、綺麗だと思はせる爲であります、綺麗だと思ヘば印象も從つて深い譯ですから、悪からう筈がない、そういつた所が、圖案の存在する權威でありませう。
 五、現在の圖案
 ざつと圖案と、装飾的繪畫の區別や、装飾藝術の價値の一般を述べました、細密に述べれば、一班の單行本が出來るように長くなりませうし、自分も、さうは興昧が續きさうでないものですから、結論の代りに、現在の日本の圖案界でも、極ざあつと申しまして、この一編を結ぶことゝ致しませう、今日我國の圖案界は、尤も凋落の極度でありまして、新しく外國から這入つて來ました圖案の形式と、舊幕時代の貧弱な圖案の餘波とが、今もつて圖案家なり、一般の人々の腦裏に殘つて居りまして、全く獨創的な氣面を研究して居ないのであります、新聞の廣告圖案なり、日常使用して居る器具なりの意匠圖案が、如何に淺薄であり獨創的氣分に缺けて居るかを語つて居るのを、御覽になつても御解りになりませう。
 ところでどうすれば、良いかと云ふ問題ですが、それは大攣な問題で、初めに申しました通り、起稿中ですから、今は發表を見合せてをきますが、一言申ますと『自然の裡に新しい形式を求めよ』としか申す事が出來ないのであります、自然を親しく觀察しましたなら、そこに無盡藏に薪しい形式と、新しい材料が發見されるのでありませう、
 近頃セセツシヨン式とか申まして、直線を主に使用した圖案の形式が、獨國あたりから、流行し出しまして、雜誌の紹介によつて、我國の圖案界にも、ボツボツ流行を見るようになりました、この形式は元、東洋の形式から來たものらしいのでありますから、先年流行しました佛國のアールヌーボーよりも、長く深く我國に移植される事と思ひますが、併し元來我國人の嗜好によつて、出來たのでないのですから、全然我國の圖案界を、風靡する事は、とても駄目だらうと思ひますが、一時は盛んに使用されるでせう、現に或る方面では、この形式によりまして、書架や、化粧臺や、テープルや、何かの室内装飾具を作つて、賣つて居るのを觀ましても解ります、
  其れで自分の考へますには成程セセツションもアールヌーボーも、共に申分のない圖案上の形式ではありますが、それよりも、我國で研究されたいのは、古い推古時代の崇高な、そして寫實的の形式であります、繪畫のみではなく、この圖案も、自然から全く離れられないものだらうと思ひます、ですから、自然を忠實に觀察して、根底を寫實にをかればなりますまい、彼の徳川時代、殊に明治に移ります前のやうな、貧弱な堕落した圖案の形式は、あまり自然を離れ過ぎて、空想にばかり走り過ぎた結果だと、云はればなりません。
 現在の圖案界も、好い加減に外國の模倣や、光琳の夢に憧れて居るのを止めて、自覺して活動を始めなければ、他の藝術と同一の歩調を執つて進行する事が、出來なくなるだらうと、心配して居るのです。
 以上は、全く秩序も何も無く述べたのみで、何の役にも立ちますまいが、豫告しましたものですから、御約束を果したと云ふ丈です、其裡に、何か有益な文字を書く事としまして、此の一編は終りに致します

この記事をPDFで見る