記憶に殘れる水彩畫(一)

KM
『みづゑ』第八十七
明治45年5月3日

 甘い御馳走を喰つて程經てから、其甘かつた御馳走のことを思出すと、又そこに一種の味を覺えるものであります。繪などを見ても矢張此麼場合がある。否却て後の聯想が、實際の物を見るより遙に優つて居ることも無いでは無い。
 そこで私は、自分が甞て見た水彩畫で、未に記憶に殘つて居る繪に就て、思ひ出す儘を書き列べて見やうと思ふ。然し?に御斷りを致すのは、外國で見た繪は總て御預りとして、これ迄日本で見た繪に就てのみ書くと致します。
 偖私の抑最初水彩畫を見たのは、明治十八九年頃でした。未だ小學校に通つて居た時代で、芝高輪に住むで居ました、丁度某日學校から歸宅してそれから又先生の塵ヘ復習に出懸け樣と思つて、本を抱へて少し遠廻りだが、何の氣無しに高輪南町から泉岳寺の門前にやつて參りました、すると門前に黒山の樣に人が集つて居る。これは何か喧嘩でもあるのかと、私も未だ幼心に所謂怖いもの見たさに、人の後から覘いて見ました、すると喧曄では無い。即ち其所で寫生を書生風の人が頻にやつて居る、一人かと思つたら三人も居る、皆畫架を列べてと今なら云ふ處だが、其時は畫架などは一人でも使って居無い、皆膝の上に畫嚢を置いてその上で描いて居ます、三人共に泉岳寺の門を寫して居る。丁度夕日が高い松の木の上に黄色に映つて、何も知ら無かつた私も大變面白い圖だと思ひました、三人の内二人の繪は眞黒で餘り感心もしませんでしたが、一人一番小さい若い人の繪は色が美しく、門の家根の瓦など本物を觀る樣だと思ひました、又松の枝なども前の方に浮き上がつて、奈何すれば此麼に行くのかと、私は先生の所に稽古に行くのも忘れて了つて立って見ました、繪は段々と出來上つて、一番前の地面にある小石迄が寫されて、愈々感心して水彩畫とは此麼に面白いものか、此の人々は何所で習つて居るのであらうなどゝ既うその日は夜寢る迄夫れのみを考ヘました。私が一時間の餘も立つて見て居る内に、一緒に見て居た大人の人がその書生さんと話して居れのを聞きましたが、何んでも牛込邊から來たのだと云つて居ました。今思ヘば當時盛に多くの青年を集めて敎育されて居た、牛込新小川町の彰枝堂の生徒であつたかも知れません、彰枝堂とは本多錦吉郎先生の畫塾です。
 其後水彩畫の寫生は兎も角、水彩畫を見るだけでも可いから、何所かで見たいものと思つて居たが、中々見る機會がありませんでした、其頃から銀座通りに一軒油繪などを陳列して居る畫店があつて、日曜日など高輪からブラブラと散歩ながらと云ふと大變體裁が可いが、實は圓太郎馬車へ乘るのも贅澤と思つて、砂埃の中をテクテクと歩いて見に行つたものです、然し水彩畫は日本畫の樣な絹繪が少し許りあるだけで、他は皆油繪のみです、今戸橋の月夜とか、又行燈の下で裁縫をゃつてる女とか云ふ繪のみが多かつた、それでも非常な滿足を得て歸つたものです、今此時感じた程の面白い繪に★したいと思つて居ますが、奈何しても駄目です。
 それから少し経て、私は松本民治と云ふ先生に繪を敎はりに行きました、此先生は矢張西洋畫の名家で、一時は圖畫の手本などを著述されたことがありました、この先生は其頃芝三田に住まはれて、私は小學校の先生の紹介で、その先生と一緒に習ひに行つたものです。すると其先生の門生で、三輪さんと云ふ人が居ましたが、此人が其時熱心に水彩畫を稽古して居られた、中々上手で、私は先生の油繪の巧なのを見るよりも、却て其三輪さんの水彩畫の方が、非常に面白く思ひました、私も早く三輪さんの樣に水彩畫が描きたくて堪らない、然し先生は何んでも澤山鉛筆畫をやらなければならぬと云つて、鉛筆畫の手本許りを呉れました。
 或日三輪さんは澁谷の方に寫生に行かれた、今は電車などが通じて昔の俤は全く無いのですが、丁度思出すと古川端の天現寺橋の所です。其時は一面の蘆が生へて、水車が一軒あるのみで、非常な田舎にでも行つた樣な氣持でした。三輪さんは水彩畫で其所を寫生された。紙はワツトマンでは無かつた。一枚四銭位の畫學紙だと記憶して居ます、高い蘆が生茂つて居て、水車場の屋根が其上に頭を出して居ました。而して小供が釣をして居たのも覺えて居ます、それが何とも云ヘぬ程上手に出來て居ました。其場所が私の平常遊びに行く所だけに懷しくてなりません、早く又三輪さんが寫生に行けば可いにと、時々三輪さんに訊ねました、然し三輪さんは中々容易に寫生に行きません。私は一日その繪を三輪さんから借りて、私の家に持つて歸り、兩親に見せたものです、然し餘り褒めないので、私は大變に失望致したこともありました、其後三輪さんは、先生と一緒に八王子の方に寫生に行かれた時、又水彩畫を二三枚寫生された。それが秋の景で、錦の樣に紅葉が山に一面彩られて、その下に農家が列んで居た圖です。セピヤで古い家を描かれたのが、恰も實物を見る樣な氣がしました。今三輪さんは何所に奈何して居られるか、一度其時の畫を見たいものと思つて居ます。若し三輪さんの畫が見られぬならば、せめて其時三輪さんの畫を見て得れ感喜だけでも得たいものと思つて居ます。(未完)

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