私に畫か描けたらば(一)
礒萍水
『みづゑ』第八十七
明治45年5月3日
私に畫が描けたならば、私は何を描くでせう、難かしい問題です、迂濶には答ヘられません、
文字でさヘ、滿足に書けない私が、何で畫がかけませうか。
然し私は、自分で答へやうが爲めに、此問題を提供したのですもの、實は少しばかり、一用意はして有るのです。
私は忙しい裡の休息を利用して、大掴みに其二三を擧げたいと思ひます。
私は山でも水でも、有の儘を描き出すに留まらないで、その時々の氣分を表はしたいのです、色でもよい、線でもよろしい、そして線には、『山岳家の見たる山の色』とか、『水郷の麼火』とか、『飛?への途』とかつけて、觀る人に注意を與えて置くのです、私はその題によつて、私の得た二三の印象を並べて見ます。
秋でした、私が一人で、鳥居峠の頂上の鳥居の前に立つたのは、落日の光りが、精あるもののやうに、見る見る雲の裡に舞ひ込もうとして居る、風は嘆のやうな音を立てて、空の空の彼方から落して來て、私の襟を哇りて、袖を飜がへして、すぐ脚の下の橡の森を甞めては、一散走りに、範原の宿をいじめにかかつて、その板戸をゆるがして、爐の禍火を騒がせやうとして居る、群山の中の落日の秋の暮、實にこの時の氣分を、謂ひ表はすのは、くどくどした文句などを並べる閑はない、悲壯の一語でもう謂ひやうはない、落日よ、落日よ、私の好きな落日よ、私は日の出と謂ふものを好かない、海洋の日の出、山上の日の出、壯は即ち壯ですが、昇りきつて了ふと、毎日見つけて居るから今うけた印象はこの平凡の爲めて消されて了ひます、そこヘ行くと落日です、寂しい寂しい彼の色彩は、どうしても胸を抱かずには居られない、落日は日の出のやうに、平凡な姿を現はすのではないから、受けた印象はその儘に胸の裡に納めておく事が能る、やがて來るのは暖い夜です、つまり幕の閉ぢやうがうまいのです、私は鳥居峠の秋の一日の、雲に落行く落日の、雄々しいながら、謂つてもつくせない寂しい走りに、眼をしばだたいたのでありました。而も此時、風に吹かれてか、山の力でか、當面の御嶽は、宛然大の男が帷幕をかゝげて姿を現はすやうに、雲おしわけてぬうつと顔を出しました、私は思はずも、帽をとつて丁寧におじぎをしました。
さあ、これだけでは餘りに平凡です、落日も此れに限つた事ではなし、御嶽の出現も既に多くの人の眼のつけ處です、格別に中添える程の巧能はありはしませんが、描きたいのはこれからです。
丁度通り合した藥賣りが、あの山、この森と指さして敎えてくれながら、なぜか聲をひそめて、敎えてくれたのは、向ひの山の色の裡に、それと、謂はれて漸く辛じて、それかと氣のつく位の一筋の線でした、
線としか謂へません、然しこれはこの木曾山中から、森をぬけ、谷を渉りして、七日かかるか十日か半月か、その間には三日にしてまだ日の光を見る事の能きない森もあらう、山蛭は襟に落ちかかつて、その血ばかりでなく、骨までも枯さうとして待構えて居るであらう、毛の白い猿は、人間の瞳をほほさん、胸に飛びついて來るであらう、この人外の麼道は、その線です、その線をたどつて行くならば飛?へ行けると謂ふけれども、果して惹なく行き得やうか、恐らくは、山蛭の腹を肥やさうに、私ははつと思ひました、襟が冷めたくなりました、浮んで來る考は彼の鏡花の『高野聖』です。
落日の名殘に、僅に幽かに、それと見えます、暮の色が素早くはびこつて行く山々の中に、針をひいた程の線、それも勿論同じ色でした、この線が主十日かかるか、半月かかるか、そしてまた無事に人間の顏を見る事が能うかと、謂ふ一路、飛?ヘの途です。
私はこの時つくづく思ひました、私に畫が描けたらば、ここを描く、消え行かんとでる落日を山の脊にして、群がる山の山の中の一路、山と同じ色の中の同じ色の一路、殆んどあるかなきかの一線を主腦として、一圖を構成して見たいとつくづく思つたのでありました、これが『飛?ヘの途』の繪摸樣です。(つづく)