頬杖小言

水野以文
『みづゑ』第八十七
明治45年5月3日

 私は平生、周圍の人に向つて、力めて立派な口をきく樣にして居る、始めて斯の道に志して郷里を去る場合も、恩師や關係の深い人々に對して、可成立派な事を云ひはなつた、といふのは外でもないが、茲に成丈、自分の研究に對する刺撃を多からしめんとする手段に外ならない、一度國でなり、或は他の人になり、立派な事を云つた以上、其言葉に對して、よい加減な事では其人に顔が會はされない、自分が何處迄も其の處まで、達しなければならないといふ一種の責任があるので、自ら怠つて居られなくなる、若しそれをしないで、悟然として居らるゝ樣に、良心が磨減しては、何事にも成功は、覺束ないと思ふのである。

 私がまだ小學校に居つた頃、試驗の時、敎師からこんな事を聞いた事がある、試驗の時は、自分が、一番出來ると思つて居れ、そうすれば他人の答案を覗く必要もなし、又覗いた處で、それは間違つて居るのだから、何の益にもならない筈である、成程一應尤もな事であるが、繪等畫く場合になれば、多少之れと趣を異にして居る樣に思ふ、何時ぞや、大下先生が、繪を習ふには、他人の研究した長所を、旨く採つて、自分のものに消化する樣に、つまり體のよい盗棒を、どんどんやるがよいといふ樣な、意味の事をいはれた事がある。これは本當にそうである、勞力を少なくして、割合に結果のよいものを得る、つまり同等の價値のものを、廉價に購ふのであるから、青年時代の如何程あつても、勉強時間の足りない樣な時には、殊に必要であり、又尤も得な行き方である、され共、これが仲々六ケ敷い事で、若し此消化力がなくて、他人の長所を直ぐ採て來たならば、遂には其の人の摸倣の樣になつて、人は違つても、一つ繪になつて、自己といふものを失つて仕舞ふ、少なくとも、非常に弱いものとなつて仕舞ふ樣な事になる、如何なる滋養物をとつても、其營養分を吸収する力がなかつたならば、體には少しもきかないと同じ事である。其の作品に自已といふ發現がなかつたならば、其繪は何等の價値もないものである、又これに反して、あまり自信が強く、自己本位で、他を省みぬといふ事も主非常に危險である、若しもかういふ行き方で以て、一新路を開拓して、確固たる立脚地を、造る丈の人であつたならば、それは大なる天才者といつてよからふ、萬人の成し難い處てある、そういふ人でも、進みながら始終自分の出立點を、振りかへつて見る必要はあるのである、此種の人で惡く進路を誤てば、忽ち奈落の底に墜落する事が徃々ある、要するに何事によらず、積極的と消極的の両極端は、相接しない迄も、甚だ近いものであると思ふ。
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 昨今日本水彩畫會の月次例會の出品數が少なくなつた爲に、其不振を唱ヘる人もある樣である、けれ共これは決して悲觀すべき現象では無からうと思ふ、成程出品數も盛んであれば猶よい事であるが、人〃の進歩につれて繪の方は矢鱈に出來なくなる、始めの間はあらゆるものに當つて研究したから其内から自分に適常な或物を捉ヘんとして(半ば無意識的にもせよ)居るので、随つて作品もそれそれ澤山あるのであるが、追々頭も進んで自分といふものがうすくにも知られて來れば、自然に對する心持は自ら變つて、今迄の仕事に滿足が出來なくなり、猶其の奥の奥の何物かを訪ねんとして精神的に努力する樣になつて、同じ物體を見るにも意識的に緻密になつて容易に筆が降せなくなる。随つて始め程に澤山な作品は得られないけれ共、出來上つた其作品には意味があり生命あつて、運ばれた筆にも一々研究の跡が讀め作者の努力を忍ばする尊いものとなるのである。つまり出品は多少減じたるにせよ一枚の繪も深い研究の上になつた價値のあるものが揃ふ譯になる、此見地よりして此現象は人々の向上進歩を物語るものであると思ふ。
 由來月次會は日本水彩畫會獨特のもので、亦生命であると云ふてもよい、以前は太平洋畫會や其他にも形はあつたのである、けれ共持續しないで消滅してしまつた、獨り我日本水彩畫會のみは益々盛んに且實のあるものとなつて來た。
 元來藝術的作物は其周圍に始終比較競走するものがなかったならば目覺しき發達は得がたいものである、此意味に於て展覽會の必要もあり我月次會の如き、作品の比較研究する機關は是非共必要であるのである。東京に居て可成出來た人でも、一度田舎に引込めば驚く程退歩して自然の見方も單調な薄ぺらな物を描く樣になった例はいくらもある、これ等は外にも原因はあるではあらうが、其の主なるものは他に競走すべき研究者が無く、自分の繪に滿足して仕舞ふ結果であると思ふ。
 自分が非常によく出來た積りの繪でも、扨月次會に出陳して他の繪と較べた場合には。どうであるか、自分の短所は自分で悉く承知して居るものから、それが目に付いてたまらなく、それと同時に他の人の繪は其長所が割合によく見ヘて、自分の繪を並べて置くのが恥かしくて取外し度なる、自分の研究所の月次會ですらそれであるから、まして大きな展覽會等に出品した時は、如何にも自分の繪が見すぼらしく、目を覆ふて其前を通るのである。つまり自分の短所を遺憾なく指示する最も有力なる刺撃となるのであつて、研究の上に吾が慢心を抑ふべき唯一の鐵鎚であり、奮鬪心を鼓舞すべき随一の興奮剤である。
 幸に日本水彩畫會は月次會に於て他に類のない成功を修めて居る好習慣を有して居る、吾々は之を答として益々發展を策すべきである。

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