ある人の話

こうし
『みづゑ』第八十七
明治45年5月3日

 「お多忙の處を、お呼び立てして、すまなかつたね」僕「いゝえ、どう致しまして」「どうだい、繪は面白いかい」僕「やり始めて見ると、別段面白い事もありませんが、感興に乘つて描いて居る時は、愉快です」「うむ、何事でも、やつて見ると、存外つまらないと思ふものさ、とにかく、繪によらず、總て藝術は技術の研究を怠たらないと共に、人格の高上を計らなければいかんぜ、人格の高いんでなければ、立派なものには出來ないからなあ」「それはそうと、君は大倉商業にゐたのだね、なに、本科一年迄行つたか、おしい事をしたな、卒業迄やればいゝのに、何にをやるにした處で、普通敎育だけは受けて置くものだよ」僕「勿論中學なら卒業するつもりでしたが、商業じや宗旨連ひですから」「いやそうでないよ、然し君は始めから畫家になるのじやなかつたのだらう」僕「はい、始めは父の遺言もあるし、親類の勸めで、わけも分らずに、大倉ヘ入つて見ましたが、やはり自分の好きな道を、やつた方が成功する樣に思つて居る矢先に「中學世界」でしたかに、黒田さんの事が出て居りました、それは先生が、佛國ヘ政治の研究に行かれて、それをやらずに、自分の好きな繪をやつて、却つて成功したといふ‥‥‥、「それで、君もやり始めたといふのだね。そりや輕卒だつたね、第一君に、黒田さんと同じだと思うから間違つて居る、黒田さんは、どれ程の天才であつたかわからんじやないか――こう云ふと、甚だ失敬だが、或は君の方が、天才があるかも知れないが、然し、物事は惡くかんがヘて、丁度いゝのだから――。」「もつとも繪でもやらうといふ人は、多少の天分がなくては出來るものではない、然しこれから畫家にならうといふには、よほどの天才で、頭腦のしつかりした感覺の鋭どい人でなければ、まあ駄目だね」「成る程普通の人でも、千年でもこつこつやつたら、所謂一人前にはなれるだらう、然し君が、こつこつ主義なら、斷然繪をやめる事を、僕は御勸めするね」「然し僕は未だ君の繪を一度も拝見しないし、どんな處に、天才があつて、成功しないとも限らないから、全然やめろとはいはない。いや全然やめるのは、大反對だ、やり始めたからには、何處迄でも大成させるさ、たゞ細く長くやる樣に、したらどうだね、つまり何にか、安全な職業にたづさはつて、其の傍ら繪をやるのだ」「僕だつて、一生大學や高等學校ヘ出るのが目的じゃないよ。今に何か公にするつもりだ、つまり敎師は方便の生活なのさ」「成る程方便の生活といふやつは、つまらない、けれども繪なり文學なりによつて生活を立てるには、自分の好きなものばかり描いて、費れゝばよいが、そうはいかぬ、どうしても、色つけ寫眞もかゝねばならぬ、素人好きのするのもかゝねばならぬ、隨つて製作に影響を及ぼしてくる、下劣なる分子は進入する、俗惡なる色彩は、つきまとつて離れなくなる、こうなつちや自己も糞もあつたものぢやない、實にあはれむべき事じやないか、そりや、よ程しつかりした人なら、是等の事に打ち勝つけれども、まあ普通の人は、金銭に負ける方が多いからね、それよりは、方便の生活によつて、傍ら自分の好きな仕事をした方が、いゝじやないか、又、其の方が、たしかに、藝術的氣品のある作が出來るといふものさ」「昔から專門にやつて、成功した人が多いと同時に、アマーチユアーで成功した人も、ずい分あるよ、なに、もう三年と專門にやつてから、職業をさがすといふのか、そりやよくないぜ、繪なんていふものは、深入りすればする程、やめにくゝなるものだからね」「ずい分君にはにがい話だつたらう、然し惡るくとつてくれてはこまるよ、僕も君と同じ地平線をたどつて居る樣なものだから、君がむやみに、先きの事も考へずに、たゞ夢の樣にやつて居るのでは、ないかと思つて、注告した迄だから‥‥‥」「僕は一人で、心の中に思つて居るのが、きらひだから、遠慮なしに言つたのだよ。實際今の繪かきの先生は、むやみに弟子をおだて上げて、浮ぶ瀬のない樣にしてしまうのが多いからね」「とにかく、よく考へて見てくれ給へ」僕「はい種々と有覧がとう存じました、いつれ熟考して、お返事いたします。」

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