春の一日

赤城泰舒アカギヤスノブ(1889-1955) 作者一覧へ

赤城泰舒
『みづゑ』第八十七
明治45年5月3日

 明治四十五年と云ふ年を迎ヘたのは遂い昨日の樣に思はれたのに、もう早一年の四分の一は消えてしまつた、丁度よく晴れた青い空にぽつりと浮み出た白い煙のやうに、暖い風と共に人々は羽織の重さを感じて來た、木や草も世の春と共に装を競ひ、冬の間のかたい眠りからさめて新らしい今年の空氣に浴そうと芽を出し初めた。
 暫く外ヘも出て見なかつた私は、心地よい風の春だ春だと云ふ叫びに追ひ立てられて、一日上野に遊んだ、、干し固められたやうな町々にも、いつか暖い光が漲つて、何から何まで浮き立つてゐる、灰色に覆はれて、沈んでゐた上野の森も若葉や花がおだやかな日光に照されて明るく輝いて、花の下は暗い見物人が呑氣さうに動いてゐる、よくもこの樣に遊んで居る人が有ることだと自分も其一人である事さへ忘れて感嘆した、人ごみを別けて美術新報社主催の展覽會の見物人の一人となつた、私がわざわざ今日こゝまで來たのは、花を見る爲でも人を見る爲でも無かつた、其等に對して多少の興味を持たぬでもないが、わざわざ出掛ける程私の心を引く力はない、只この展覽會の中に陳列されてある、青木繁氏の遺作に接し度いばかりで有た、場内には洋畫家の試みた半切畫が五月蠅くいやに澤山並べられてある、其等の多くの中には面白いものも多少は有つたが、誠に微々たるものであつた、快よき調和を畫面の中に保つて居るものは惜しい事には數限り無き程の中に、ほんの僅であつた。
 つまらなく疲れきつた私の頭や目や體は、最後の室に入り、氏の遺作に接し、覺えず身慄をした、目の中には涙さヘ浮み出した、陳列されてある遺作は總てで五十點、尤も大なるものは『わだつみのいろこの宮』で、歌がるた等は尤も少さきものであつた、畫の大小によらず總てを通じて現はれて居る氏の藝術的な、眞摯な、熱烈な體度は私に非常なる悦びと、尊敬の念を與へた、愉快なる無理のないコンポジシヨン、暖く豊富にしかも上品なる色彩、神秘的でローマンチツクな畫題、皆、一つとして私の血を躍らする力を持つて居らぬものは無いのだ。
 私はいつもいつも展覽會の開かるゝ毎に、多くの畫が陳列されてあると云ふ事に引きつけられて、出かけて行く、けれども一枚く見ると云ふ事の疲から、ぼうつとして下足を取る時、私の頭の中は眞の空虚である、何物か深い印象を止めて居ると云ふ事は殆んど無い、二度も三度も見てゐる中には何か頭の中に止まるものもあらうかと、心細い望を抱いてはくり返して見る、然し何等の好果も納められず、不愉快な畫は益々度を進めて行く斗りだ。
 私はこの日、氏の立派な藝術品に接して深く魅せられた、いつも物足りなく思ふて居た私の心持に初めて、ある滿足と光明とが與へられた。
 私が曾て畫を研究すると云ふ目的の爲に上京して間もなく開かれた、東京博覽會で、初めて氏の『わだつみのいろこの宮』に御目にかゝつた、之が氏の作品に生前に接する事を得た始めの終りで有た、其頃の何もわからなかつた私にも、何物とも知れず、ある深い魅力に引き付けられて、其畫の前に立つ事を非常なる悦びとして居つた、其後は、常に其畫を思ひ出しては憧れて居る斗りで、遂に再び接する機會を得ず今日に至つた。
 之の不遇な天才も浮世の習にもれず、世に入れられず、人にも知られず、運命の手に誘はれて、この世を早めて終られた、今、一週年に當つて、其遺作に、親しく接する事を得て悦びに堪ヘない、深く追悼の意を表する。(三月廿六日)
 早稻田文學社主催の装飾美術展覽會を見る、こゝにも洋畫家の試みられた、日本畫が澤山にあつた、其外に油繪、水彩、彫刻、樂燒のようなものやら種々なものが陳列されてゐた。
 こゝには只だ水彩畫について自分の感じた事を簡單に書いて見る、油畫は可成澤山有つたが、水彩畫はいくらもなかつた。
 齋藤與里氏『女』私には氏等のアンデパンダンと云ふものは充分に解らないが、氏の愉快なる色調にはいつもながら私に悦びの眼を見張らする、本間國雄氏『丸の内の一部』『觀音前』『顏のスケッチ』共に色鉛筆のスケツチである、只雜然としてある斗りで面白味は見出せなかつた。
 坂本繁次郎氏『野原』寂しい感じは有つたが『新庭』『小雨』等と共に餘り面白い作品とも思はれなかつた、『松葉摘み』濕つぽい空氣に滿ちた深い感じのある面白い畫であつた、『裏畑』『松葉摘』程の潤ひと深さは感じられなかつたが、やさしい素朴な感情の表はれているよい畫だ、好ましい作品であつた。(四月五日)
 青本繁氏遺作『春』及坂本繁次郎氏作『裏畑』は號を追ひ原色版として挿入いたします。

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