關西洋畫界通信(二)

紫舟生
『みづゑ』第八十七
明治45年5月3日

 大阪三越呉服店第七回洋畫展覽會春も漸う深くなつて、花の香甘き三月二十日から十五日間大阪の三越で太平洋畫會と關西美術會合併の洋畫展覽會が開かれた、出品數は東西合して百五六十點の豫定と聞いて居たが、扨て開會早々行つて見ると三百何點と云ふ大變な數になつて居た、尤む其中には吉田、中川、石川三氏の琉球スケツチ七十餘點も含まれて居た、狭い室に澤山の繪を無理矢理に押し並べてあるので、見るのに甚しく眼が疲れる、水彩の出品は七十六點、例に依つて私の好きなのを擧げて見ると、石井柏亭氏の「コンスタンチノーブルの雪」及び「ピーザの町外れ」藤島英輔氏の「松」「焼ヶ岳」小杉未醒氏の「釜山鎭」大下藤次郎氏の「甲州白峰」瀧澤靜雄氏の「居留地の夕」赤城泰舒氏の「深山の牧場」中川八郎氏の「菊畑」坂本繁次郎氏の「安竹村」等であつた、水彩にも油繪にもあまり大作は無かつた、小杉未醒氏の「白木蓮」が一番の大作として場中を睥睨して居る感があつた、小品ばかりではあるが、文展のように固くならないで、皆思ふ儘に個性が發揮してあるので如何にも興味が深い、その中でも齋藤與里氏や近藤浩氏等の作品は尠からず大阪の人々を驚かしたらしい。吉田、中川、石川三氏の琉球スケツチも皆眼新らしい景色丈に面白く觀たが、何しろ熱帶の強い色彩を隙間もなく並べてあるので、半分程見て行く内に頭がガンガンと痛くなつてしまつた、三氏の内では吉田氏のが最も強烈な感じが現はれて居る樣に思つた。大阪はこの頃大分洋畫趣味が勃興して來た、三越の此度の展覽會では、實に八十餘點の繪が賣れた、全體の二割七分は赤札が附いた、中には一人で二十點斗りも買つた人があるとの事だ、斯かる盛んな現象は到底東京でも見られない處であらう、たとへ其繪が眞に解つて買うと否とを不問繪が賣れると云ふ事は兎も角も畫家に取つて之れ丈心強い事はあるまい、三越展覽會は大なる成功を収め得たと云つてもよからう。
 津田青楓氏主催繪畫展覽會四月七日の日曜日、京都圖書館樓上に開會中の津田青楓氏主催の展覽會を見た、出品者の顏觸れは青楓氏を主として南薫造、柳敬助、有馬壬馬、齋藤與里、富本憲吉、高村光太郎、山下新太郎の諸氏、油繪、水彩の外に半折物の日本畫、陶器繪、團扇繪などもあつた、孰れも小品ばかりであつたが、白樺派の詩人的畫家のお揃ひ丈に、大分風變りな作もあつた、クラシカルな京都でこんな新しい氣分に富んだ展覽會を見やうとは思はなかつた、觀覽者の中には齋藤與里氏の日本畫や青楓氏の水彩畫が解らなくて困ると云つて顏をしかめて居る人も見受けた、私には矢張り南薫造氏の水彩が一番多く感興を牽いた、殊に伊太利か何處かの港の繪は忘れられない繪であつた。陶器畫ゃ團扇の中にも奇拔な澁味たつぷりの面白いのがあつた。京都にもかゝる個人主催の展覽會が開かれる樣になつたのは大に頼もしい次第である。
 日本水彩畫會關西支部第一回批評會三月の第三日曜日豫定の如く批評會を京都銅鉈尋常小學校に開く、會するもの拾數名、朝來の雨にも拘はらず河合先生の來會あり、當支部の復興を既し將來充分援助を與ふべき旨の挨拶あり更にアマチユアとしての覺悟に就き懇切なる御講話あり、次いで會員作品の批評に移り一々精細なる批評を加ヘらる、會員は充分の滿足を表して散會したのは暮靄東山にこむる頃であつた。尚當支部は其後續々入會の申込みもあり、會員も倍加して來たから次會は更に盛會を見る事であらう。

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