寫生紀行
阪秀太郎
『みづゑ』第八十七
明治45年5月3日
空は強いオルトラマリンに澄んで白い綿の樣な雲が所々にふはりふはり浮いてる。近頃に稀な好天氣なので程遠からぬ秋保温泉に寫生旅行を思ひ立つた。
午後の四時頃から例の七つ道具をかついで家を飛び出した。長町を西に折れ愛宕山の裏手をまつすぐに秋保街道を辿る。左は見渡す限り田畝連き、遠くは大年寺山の端れに近く殘雪を頂いた奥羽山脈が薄いインヂゴー色に蜿?と南に走つてる。行くゆく農家にはコバルト色の紫陽花が所嫌はず咲いてゐる。小川がある、土橋がある。かうした道を行き過ぎると之からは只平らな山道を岨傳ひに行くのである。だんだん行くと右は見上ぐる樣な山續き、峰連り、頂聳えて、近く重なり遠く望み路は山岨の斷崖の上を通つてる。左は綠の草や灌木に埋められた深いく大溪谷で、下を流れてるのが名取川だ。急流は岩と岩との間を狂奔して水泡は眞白く雪のやうだ。三里程行くと右側の山はだんだん開けて來て、平原の樣な所に出る。其虎に茂庭といつて一寸した氣の利いた村がある。此處の茶店に道具をおろして一休みする、ラムネに餅を平げてから鉛筆スケツチ一枚を得て出掛ける。茶屋の婆さんに聞くと秋保までもう二里だと云ふ。之から又前の樣な山道だ、日は餘程低くなつたが未だ大分暑いので上衣を脱ぐ、左手の谷は岩が重なり合つて水は其間をくぐつて流れてる、と行手に當つて?鞳の響がある、二三町行くと危うげな板橋があつて、深碧色の溪流はすぐ下の絶壁の邊から飛瀑となつて落ちてゐる、之は名高い大瀧と云ふのだ。途中行商人體の男に度々逢ひながら、行けば行く程谷は幅狭くなつて水車場が所々にある、道ばたの草の中には野葡萄の實が一面にある。日は漸く暮れかかつた、間もなく四邊は夕靄に閉されて山麓の茅舎から炊煙が立ちのぼる。もう秋保だといふ半里許り手前で日はとつぷり暮れた、暗夜の山道は物凄い、名取川上流仙人橋を渡つて爪頭上りの長坂四五町程登れば古びた温泉宿が並んで、三昧の音、尺八の音、唄も聞える、此處が所謂秋保の温泉だ。
佐勘屋といふに道具をおろす。時に八時だ。何はともあれ疲をぬくために早速湯にはいる、浴室は粗末ではないがまるで音曲の稽古場といつた有樣、仕切なしの追分、ラツパ節、乃至ナンテマガインデシヨ節が絶えない。飯を食つてから間もなく床に入る、と雨が降つて來た、さあ明日の寫生が氣がかりで眠られぬ、色んなことを考ヘてる間に温泉の夜は更けて夜廻りの拍子木の音が寂しく聞える(某月一日)
四時に目覺む、顔も洗はずに寫生箱引つぱり出して川岸の崖縁に行く、彼方には翠巒長く續き其の中に見上ぐる芝山の樣な滑かな丸い山が、まだ明けやらぬ灰色の空に接して、其はてにコバルトの連山が遥かに見える、そこをと、思つて早速三脚を据える、一時間程無言の業、描き終る頃に綠色の山また山は波濤の如く朝日に輝き出した。宿に歸り食後浴室を寫生する。それから又先の川岸の崖をおりて行くと途中に河原の温泉といふのがある、筧の水は水盤に溢れて落ちてゐるのに其又水の中には白の山百合が崩れる樣に咲き亂れて、甘い香が頻りに鼻を襲つてくる。下へおりて行くと丸木橋が架かつてる、川の兩岸は翠?屏列して皆嶢巉岩よりなつてゐて、瀧あり奔湍あり、碧潭あつて非常に畫題に富んでる。此處で道具を開き上の温泉宿を寫生する。ラストタツチを入れてる頃は身の圍りに沿客連が集つてた。宿へ歸り書飯後二三の鉛筆スケツチして歸途につく。家に著いたのは午後四時だつた。(某月二日)