野人語録
片葉子
『みづゑ』第八十七
明治45年5月3日
〇S君は書齋一ぱいに、水彩畫やら、繪はがきやら張りたてて、得意がつて居る。御自身では美術家位にうぬぼれ給ふが、僕などの樣な畫の意味の明らないものには、一向有難くも面白くもない。ごてごてした所、何だか繪はがき屋見た樣だ。
○その又繪と云つたら、赤い繪具や、黄色い繪具やら、無暗に落してあるばかり。見てさへ早や胸先が惡くなる氣持がする。何だといへば、これが島だ。これが船だとさ。奇想天外より落ちるとは蓋しこの事だ。須らく島や船に名札を付けて、見る人の誤解を矯め、奇想の落ち來る所を知らせるの必要がありはすまいか。
〇S君が曰く、「繪を見て呉れる人の無いのは、僕の一大不滿だ。
この繪は、口で説明したつて分かるものでない。見る人の感想に突入つて、始めて價値が現れるのだ。天才を待つて始めて解せられるのだ。」と。
○僕は恥しめられた樣な氣がした。僕の存在をS君は認めて居らぬ。無論批評などといふことは、こちらが御免蒙る方だ。けれども畫といふものは、畫かきが見て始めて分かるものかな。約束づくでわかるのなら、どこが文學と選ぶ所があるか。
○吾人百姓の感情にも觸れ得る樣に、色や形を描立ててもらひたい。これが畫家君に對する、吾人の希望の全部である。
○私等は人を招く樣な時には。部屋はよくかたづけて、塵一本でも落さぬ樣にする。床の上にいろんなものを積立てたり、柱に古着をぶらさげたりする樣な事は、失禮だとかねがね思つて居る。
〇一寸失禮だが、S君の繪はがき主義とくらべて見た。
吾人の主義は、果然無装飾の装飾とでも、いふ樣なものであつた。S君、幸に味ひ給ひ得ば幸甚。
○庭に自然に生へる艸なら生して置け。自然に落ちる木の葉は、掃き捨てずにと。是が自然主義といふ肩書の付くS君の言。秋の末、山寺の垣根の下に、木の葉が一面に散り敷いて居る所などは、いかにも寂みがあつて、S君たまらない程よい相だ。あれだから、清水の立派な燒を、尋常一年の子供の、粘土細工と取りかへて、得意がられるのだ。
無装飾の装飾主義者たる吾人は、飽く迄掃きすてゝ、ぬきすてて、清めに清め上げよといふのである。
○變化の大切な事ばかりを、口を極めて主張し給ふ。成る程大切は大切。然し吾人は變化のみが、唯一の美の要素とは、決して思ふては居らぬ。人の變化を云ふ時に、吾人は反抗的に、嚴正をかつぎ上げたく思ふ。借問す、行儀よいのと、じだらくなのと、どちらがよい。