調色に就て

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第八十八
明治45年6月3日

 畫家によつて繪具に好き々々がある、繪具に好き々々があるから、其畫家の畫は自ら色が決まつてくるのである、一見して之は誰の畫いたものと云ふとが知れやう。初學の内は未だ得意の色彩が定まらぬから、畫に特徴も現はれぬのである。之は個人に限らず、廣く一國の美術に就て云つても同樣である。例ヘば獨乙の繪は自ら獨乙風の處がある、佛蘭西も、英吉利も、伊太利、西班牙等もそれぞれ其國の特徴が繪の上に現はれてゐる。米國なども、近來美術彌々進歩の結果、米國風なるものは夙に歐洲の畫壇に於て認められるやうになつたのである。音樂、建築等に於ても亦同樣で、自然に其國の特徴、換言すれば國性なるものが現はれて居ることは、例へば獨乙の音樂と佛蘭西、英吉利の音樂とは其間に一種の異なる發現が在るのを見ても知れやう。日本の美術も亦日本的の特徴を有するのであるが、洋畫の方は、未だ輸入の日淺く、殊に英國やら獨乙やら佛蘭西やら其他西洋の方々から入り來つた爲め、未だ充分に消化されざる嫌ひが有つて、それ故未だ日本風の洋畫と云ふべきものも一寸決まつて居らぬやうである、恰も初學者の畫に特徴の現はれて居らぬのと同樣の感があらう。併し必ずや近き將來に於ては、日本風なる洋畫が屹然として現はるべきことは信じて疑はぬ次第である。
 却説本題に立戻って、調色は元より好き々々であるから、之を論ずるのも無用のやうではあるが、其好きな繪具が決まるまでの間、參考旁々私の所感を述べて見れば、エメラルド、グリーンの好きな畫家も有るが私は之は嫌ひである、其爲め、ヴィリヂヤンを用ゐるともあるが之も大して難有くもない色である。エメラルドグリーンは重い色で、他の色と混ざりが悪るい氣味もあれば、變色をする疑ひもある、ヴィリヂヤンと雖も少し怪しいやうである、それ故兼てサイブルスクリーンと云ふのを用ゐて見て居るが、之は我慢頃の色のやうに思はれる。某畫家の説では、グリーンだのパープルだのゝ類は、他の色を混ぜても出來る色であるから、寧ろ繪具のグリーンの類は用ゐぬ方が、畫に變化が付いて好いとも云つて居る。尤もグリーンを用ゐたところが、變化を付けて用ゐれば文句はなからうが、之も人々の考へ次第である。要するに、グリーンには良いものが一寸無いやうである。フーカースグリーンは多少變はる、サップグリーンは少し暗過ぎる上に、飛んで仕舞ふ氣味もある、クロームグリーンは重い上に發色が高尚ではない、併し此色は他のグリーンに比して先づ無難のやうであるから、用ゐても宜からう。此頃出來たと云ふチャイニース、グリーンは暗い透明な涼しい感じの色であるが、之は風景畫よりも人物畫の方に入用であらうと思はれる。
 カドミュム、イエローも少々敬遠した方がよいやうである、之と混ぜ合はせる色に依つては黒く變化する。
 インヂャン、イエローの方が幾分無難であらう、何れもキヽの好い色である代はりに、注意をして用ゐぬと調子が取れない。ガンボーヂは別に變化はせぬやうであるが、洗ひ落ちぬ氣味もある、其積りで用ゐれば差支へはなからう。レモンイエローはよさそうであるが、重い色であるから夫を承知の上で用ゐることが必要である。オーレオリンは無難であると思ふが、キヽはよくない方である。併し此色は私は好きで用ゐて居る。イエローオーカーム無事であるから安心して用ゐられる。オーロラ、イエローだのキングスイエロー(之は甚だ毒だとのこと)其他何々イエローだのと種々あるが、通常の寫生には別段必要を感じない。
 ライトレッド。ヴァミリオン(之はスカレット、ヴァミリオンの方を私は好む)インヂヤン、レッド。ヴェネシヤン、レッド等之は何れも安心して用ゐられる色である。クリムソン・レーキは變色するやうに人は云ふが、目に立つ程の變色はない、併しアリザリン、クリムソンの方が無難だと云ふ。マッダー、カルマインは發色は鮮麗であるが、キヽが惡るく且つ飛んで仕舞う氣味もある。ローズマダーなども同一である。元來マダー製の繪具は先づ飛ぶ方である。併し變色するの、せぬのと云つた處で、永い間に少しも變色せぬ色と云ふものは理窟上世の中に有る譯のもので無いから、先づ五十歩百歩の處である、一つは畫の保存の方法にも關係するやうでは有るが、此頃私の經驗では、色の方は十年や二十年では目に立つ程の變化はないとしても、水彩畫で云へば、ワッドマン紙が變色して、其爲めに描いてある畫を害することがある。それは紙の面に一種のシミが大きく出ることであるが、或は濕氣の關係かは知らぬが、最初は何んともないのが、五六年も經つとシミが現はれてくることが有る。諸君もかゝる經驗を持たれたか如何かは知らぬが、紙が變色されたのでは全く閉口頓首の至りである。
 コバルトは無事、プロシヤン、ブリューは怪しい。インヂゴーも先づ變節黨の方であらう。プロシヤン・ブリューの代はりにサイアニン、ブリュー又はアントワープ、ブリューを用ゐて居るが、節操の如何はまだ見决はめることが出來ぬが、先づよささうである。
 其他シェンナの類は無難である、ピンクの類は飛ぶかも知れないが大したことは無いやうである。
 終はりに臨み、之まで性根を見届けて先づ之れならば大抵間違ひの無からうと思ふ處は、レモン、イエロー。オーレオリン。イエロー、オーカー。インヂヤン、イエロー。バーント及ロー、シエンナ。セピヤ。ヴァミリオン。ライトレツド。インヂヤン、レツド。アリザリン、クリムソン。及アリザリン、スカレット。コバルト。ブラックの類である。
 尚申添ヘたいことは、好きな色、嫌ひな色と云つた處で、之も一定したわけではない。風の吹き廻し工合で今まで嫌ひであつた色が好きになることもある。右申上げた處も目下に於て私が好きと嫌ひと云ふだけのことで、其筋へお届濟みと云ふのではないから、此先又た如何變はるか分からないのである。

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