丸山晩霞 『みづゑ』第八十八 P.5 明治45年6月3日
前略、來る廿七日出帆の丹後丸にて歸朝の途に就く筈に候處、來月は有名なるアカデミーも開き、其他種々の展覽物有之、且つは英國のシーズンにて、少しく製作もいたし度、尚種々の都合上五月廿五日出帆の安藝丸にて歸朝する事に決定いたし候故、右不取敢御報申上候、尚生は又々アムバレーに行き當分製作に從事いたす筈に候匇々。 四月廿二日丸山晩霞