展覽會の水彩畫に就て
三宅克己ミヤケコッキ(1874-1954) 作者一覧へ
三宅克己
『みづゑ』第八十八 P.6
明治45年6月3日
私は西洋畫の展覽會に行つて何時も感ずるのは、油繪に對すると外國の美人に接する樣で、美しいと思つても充分話も通ぜず、唯これは佳いと思ふ許りだ。處が水彩畫に對しては、日本の美人に遇つたと同じで、奈何な微細な感情迄も、充分に通ずるから、同じ觀ても總ての注意が全く油繪とは違ふ。
太平洋畫會を見物しても矢張其感は少しも變らぬ。水彩畫は何時觀ても面白いものだ、私は今少し細く感を述べて見たいが、これを書く時が無いから乍殘念ホンの概略の所感を記して見やう。
私の好きな繪は水野以文君の『久世山下より』。感服したのは鶴田吾郎君の『男の肖像』。懷しかつたのは石井滿吉君のナポリやフロレンスやカイロ邊の風景、畫室に飾つて置きたいのが中川八郎君の『蜜柑の樹』。筆の妙味に何時もながら驚くのは吉田博君の『白山眺望』。洒落た一寸眞似も出來ないと思つたのは小杉未醒君の『朝鮮スケツチ』。又涙を催したのは故大下君の遺作、其他藤島英輔君、赤城泰舒君や瀧澤靜雄君の出品の中に暫時足を止めたのも尠くなかつた。未だ此外にそれぞれと面白いのもあつたが能く目録を見なければ圖題など記憶せぬので記すことが出來ぬ。如何にも殘念である。