頬杖小言

水野以文
『みづゑ』第八十八
明治45年6月3日

 私は繪を畫く場合、自分の癖で、繪に納まるべく大體のはまりをとつた後、其主眼の一部分、例へば人體であつたならば、頭部、又風景であつたならば建築なり、樹木なりを、自分の出來る限り、確かに輪廓をとつて、それを標準にして他を畫いて行く樣にする。こんなやり方は、或は惡いかも知れぬが、私の性質として、一番適當であり、又やりよいからであるといふ迄で、別に主義でもなんでもない。
○よく人が或任務を果さなかつた爲に遂隙がなかつたからといふ、書翰などにも多忙に打紛れてといふ文など大抵の場合を糊塗するのが多い、人間といふ者は元來非常に我儘な自分勝手な動物で、自分が横着から人に違約をして置きながら遂多忙であつたからといふ最も麗はしい言葉を以て其場を繕ふて平氣で何とも思つて居ない、勉強等も其通りで自分がやらないで居って口では出來ない樣な事をいふのは全く出來ない場合もないでは無からうが、その多くは隙が無いのではなく自分から作らないのであると思ふ、私等も隙が無いといヘば隨分いへない事もない朝六時に宿を出で夜十時半頃迄は夕餐の時一寸歸る許りで日中等殆んど在宿の折は無いのである、けれ共其内毎夜就寝前三十分なり一時間なりを讀書時間と定めて置けば少ないながらも十數日の間には五百餘頁位の書物は通讀する事か出來る、亦勤務時間の前後少しづゝの時間にても寫生をして居れば相當に描く事も出來るものである、斯くして少しづゝの時間を割いて毎日決行しれならば一ヶ月の間には可成の仕事も出來るのである、それは人間である以上より機械的には出來ないのであるが平生其心持であつたならば或程度迄の隙は充分得らるゝのである、速記術發明者田★氏の歌に書けはかけ「書かねば書けじ書けよ人書けぬといふは書かぬなりけり」、といはれた誠に味ふべき至言であると思ふ。

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