太平洋畫會の光榮
『みづゑ』第八十八
明治45年6月3日
美術奨勵の御趣意で宮内省並びに皇后官職から第十回太平洋畫會展覽會出品の御買上げがあつた内、水彩畫で御用品となつたのは宮内省
十一月八木定祐氏深山の流瀧澤靜雄氏高原の夕立茨木猪之吉氏初秋中林★氏柿の木榎本滋氏深山の牧場赤城泰★氏初春武田芳雄氏秋磯部忠一氏穂高山藤島英輔氏榛名故大下藤次郎氏
皇后宮職
夏の湖畔中川八郎氏暮れ行く山大森疋行氏庭の隅故大下藤次郎氏
諸君よ。以上に述べて來た由來は、所謂本誌の内幕とか、黒幕とか、申すものであらふ。カーライルの皮肉ではないが、世の中は着飾つた衣裳で保つて行くものである。看板を立派にして人を誘ひ寄せて醜き裏面は、暗黒に葬つてしまふが常である。
吾々とても其を滿更知らぬではない、然るに、此所に敢て内幕を發表したのは、少しく意味と趣意とがあるからである。
云ふまでも無い事かは知らぬけれども、「みづゑ」によりて結び付けられたる團體は、同一の主義と、理想との下に、大下先生なる人格によつて、統一せられたる無形の集合體であつて、「みづゑ」は、實に、此團盤相互の思想交換の手段、相扶け合ひ相指導する機關であつたのである。健全なる趣味布及、高尚なる感情の涵養――之れを、理想として、其修養の方法としては畫筆を握り、深玄幽美なる自然の美を、畫布の上に唱へ、ながら、其美に同化する事を主張したのであつた。同一旗幟の下に集つた吾等は、所謂志を同じくする者である。同志の者の間に互に流れ、同志者を包括する糸は、廣い意味に於ける愛である。同情である。他人ならぬ心地である。斯る温き感情に包まれ、斯る同じき理想を抱く間柄を結び付ける本誌「みづゑ」は、單に賣物、買物として見度くない。廣告を粧ふ廿世紀の世の中に、吾々が敢て、内幕を打開けたのは、諸君等を顧客の樣に見度くないからである。聞かせられる事は皆聞がせて、安心を與ヘ度かつたからである。斯る使命を有する「みづゑ」が、匿名に隠れて勝手な熱を吹く普通の雜誌と選を異にして、未だ所謂大家ではないけれども、責任を重ずる着實の士が、眞面目な研究と自信との上に立つて居る事を發表して、堅き圖結の基礎たる相互の信頼を、より以上に固め度いからである。
「みづゑ」の刊行は、全然、諸君の爲めのみであると云ふ程、我々は偽善者ではない。現に利益は、いくらかある。其利益は、實の所、全部、突然大黒柱を失ひて、母子只二人となられた、寂しい大下家ヘ行つて居るのである。之れは、情あり、涙ある諸君は、必ず了とせらるゝ所であらふ。されど、之れは要するに、附隨的の結果に過ぎないので、「みづゑ」本來の目的は、何處までも、上に詳説しれ所に在る、あの理想を追ひ、あの旗幟を押立てゝ、今後共何處までも行き度い。
眞摯なる趣味敎育――是が木誌の旌旗である。着實、眞面目――それが本誌の甲冑である。友愛的感情――乏れが吾々の連★である。此幟を翩し、此鎧に身を固め、此★に相結付いて、飽くまでも進み度い。吾々が、細部に求る態度は、悉く此三源泉から流れ出るであらふ。新計畫もある。新しき試みもある、但し追々發表する事にしやう。
まだ浦若の經營者は、勿論諸君に比して一日の長あり等とは思つて居ない。比較的便宜の位置に立たれて居るから、御頼みしたのであつた。其人達と雖も、相當の考へもあり、又經營を鞅掌する以上、無暗に人の云ひなりになる程、腑甲斐き浮草心ではない。けれども、父死して、後に残つた、云はゞ、兄弟姉妹の樣な友愛的團體の機闘、「みづゑ」を受持つた經營者、――彼等も、元來此圖體の古い員であるのであるから、云はゞ同格なる、團體員の親切なる忠告や、諫言や、注意や、は喜んで容るゝてあらう。至誠と云ふ外、經驗のまだ多くない彼等は、參考となる可き事を取入るゝに、決して吝ではない。願はくは、諸君、――皆んなの共有機關である「みづゑ」を、よそならぬ物として、誘導啓發してくれ給ヘ。本誌の特徴異彩は、常に、此讀者相互間、讀者經營者間の融合一致にある。此特徴を出來る丈發輝し度いと思ふ。
漸くにして、「みづゑ」は、苦しき過渡時代を過ぎて、新生命を得、新時代に向ひ出した。今迄の詮方な告不整頓の御宥しを乞ふと共に、今後の勵精を誓ふ。而して諸君の前に變らぬ御同情と協力とを待つ。
但し新生命に入つたと云ふて、衣服を着更へる樣に、變化があると云ふのではない。着實は極端なる急激の變轉を嫌ふ。漸を以て進み度い。こんな事は云ふを俟つまい。
然しながら、着實とは、守株と異る事を御注意あり度い、温徴知新――之れは慥に眞理である。然し、故きを温ねるを、唯一に新を知る方法とは主張せぬ。新時代の「みづゑ」は、充分に新しき時代の空氣を呼吸し度い。勿論新しい新しいとは、徒らに、胡瓜の空花を追ふ愚は學ぶまい。着實に新思潮に觸れ、新傾向を紹介する事は決して怠るまい。此頃、「現代」とが「近代」とか云ふ標識が多くなつて來たが、それは至極結構である。但し、俗に日本で★んで居る「現代」や「近代」は、餘程、怪しいのが多い。西の極の歐洲の中心から、東の極の日本まで、響きが傳はるは容易でない。漸く、日本に、かすかに、カーンと反響する時分には、欧洲の本場では、他の響きが、新にドーンと鳴り初めて居る。吾々は、翻譯位の葭の髄から傳へられる古臭い「現代」「近代」に滿足し度くない。幸ひ、此度の經營者の一人は、外國語に堪能であられるから、新しい「現代」を傳ふる事が出來やう。之を吾人は欣んで告白する。
他に云ひ度い事も澤山有るけれども今は止める。我ながら、冗長な筆、我々が主旨を解して下されば幸いである。