讀者の領分


『みづゑ』第八十八
明治45年6月3日

 僕は一昨年頃からの「みづゑ」耽溺者だ、月を迎ヘると共に「みづゑ」が發展してゆく過去を歡び將來を樂んでゐる、長く此めしひの手を曳いて多少勝手のわかるまでなりとも導いて貰ひたいが萬々の願なのだ。こんな有樣で小言を云ふのは甚だ恐れ入るが、慈母にあまヘて云つて見やう。前號で誰かゞ云つた樣に記事を載せる紙を今少し惡くして何かの方面に擴げて戴きたい。それから何號であつたかは忘れたが故大下先生が春鳥畫談と題して吾々の決心を促されたそれを讀んだ僕はやつきとなつて其晩はどうしても目がさへて眠れなかつた、毎號の挿繪で勵まされてゐる其上に成文で心肝に深く銘せられたのだ願はくば此後の誌上で直接に露はに諸先生の意を成文として記載して戴きたい。(宮崎の讀者)小生上等猩毛所持す水彩畫に製してくれる處なきや文房堂其他に問ふ。(大阪洗帆生)私は水繪の四十二年、五〇號頃からの讀者であり★★。
 で私も本號から、少しづゝ登稿致す考ヘです。私は繪畫同好の諸君に御相談致して、(時代に遲れているかもしれませんが)回覽帖を始めようと思ひますがいかゞでせう。私の豫定に、大きさワットマン紙九ツ切大(ワットマンに限りません)で水繪にかぼります、繪書え可成折らぬ樣に願ます。私も出來得る限り注意をして御送致す考へです。回覽の順に先着の方からに致します。成可なら本月十五日頃までに願ます。皆様どうか御賛を願ます。

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