中學生と水彩畫

石川欽一郎イシカワキンイチロウ(1871-1945) 作者一覧へ

石川欽一郎
『みづゑ』第八十九
明治45年7月3日

 專門家が美術品としての水彩畫をかくことは別の談として、只だ靑年が趣味の爲めに、高尚なる娯樂として此畫をかくことは誠によいのは無論のこと、かくしてアマツールが段々殖へて行くのは、國に美術振興の元であるとも云へやう、獨り中學生に限らず、一般靑年にも廣く此趣味を勸めたく、又た婦人の方にも同樣、此方面の趣味を希望するのであるが、之は他日に讓り、今中學生だけに就て水彩畫を勸めて見たい、既に中學程度の靑年であれば水彩畫の何物かを知らぬものは一人も有るまいとは思つて居るが、併し時々案外に思ふのは、私の關係する或學校には、中學校を卒業した學生が入學してくるが、其中にまだ水彩畫を中學校で一度も習つたことのない靑年も可なりにある、して見れば、水彩畫はまだまだ日本全國へ行渡つて居るとは云はれない、本會の會員などは率先して、大いに此畫の面白味を、全國の學生に紹介したいものである。
 何事も靑年の時代に研究すれば左程苦しまずに、一と通りは進歩するものである、但し好きでないといかぬ、嫌ひでは談にならない、併し畫をかくことは嫌ひでも、畫を見ることの嫌ひな人間は天下に一人もなからう、野蠻人と雖も畫はすきである、生蕃の兒童で毛筆畫を上手にかくものさへもある、審美の趣味は人の本性であるから、自分に畫はかけぬとも、先づ畫を樂しむことを心がけるが宜からうが、之は今云ふ通り、若い内ならば習へば相當にかけるやうには直きになれるものである、大人になつてはそうは行かないから何事も若い内に研究するのが第一である。それで、此考で、私は自分の關係して居る中學校の生徒に畫が好きになるやう努め、又た學校に於ても賛成して設備や便宜を與へてくれて居る結果、一般に成績がよくなつて來たのである、其中の熱心家などは、三脚や畫架を手工や金工の方で自分に作り上げたのもある、之までになれば自分も楡快のことであらう。だがそう畫の方に熱注して仕舞つては他の學科に障はるだらうと心配する人もあるかも知れない、併し私の經驗では其心配はない、もし他の學科が、畫をやる爲めに妨げられるやうな學生ならば、それは畫をやらぬとも初めから出來のよい者ではないのである、幸ひに畫の方で進歩すれば、其學生の爲めにはそれ丈でも幸福であらう。
 併し何處までも眞面目にやりたい、之を私は希望する、體裁や形容で畫をかいては全く困る。或中學校の先生の談に、實際熱心でやる學生ならば誠によいが、只だ體裁に畫架や三脚を擔いで氣取るやうなものもあるので、一概に寫生の趣味を奨勵する譯にもゆかぬとのことを聞いたが、或はそう云ふ連中も、多い中には少しは有らう、先づ本會の曾員中には此種のバチルスは無いことを信じ、尚將來とても此方針でお互に相戒めて彌々眞面目に研究したいものである。先づ會員諸君が中堅となつてやつたならば、決して此種の杞憂はないことゝ思ふ。それと今一っは、何處までもアマツール即ち素人の嗜好で行きたいのである、決してプロフヱツシヨナルに成らふなどゝ考へないことで、之は前にも本誌上で述べたことがあるが、或は多くの會員中、否中學生中には將來專門家として立たうと云ふ人もあらう、それ等の人に對して云ふのではない只だ一般に靑年の趣味としてお談する時は、單に娯樂として之を勸めるのである、靑年の娯樂には種々ある、ベースでもポートでも皆それぞれの特長と興味とがある、水彩畫も亦其一つとして廣く勸めたい、其爲めには、先きに此趣味を享有する會員及讀者諸君が主となつて盡力したならば、其結果は必ずや多からうと思ふので、?に述ぺた次第である。

この記事をPDFで見る