劇の背景[一]

山崎紫紅ヤマザキシコウ(1875-1939)

山崎紫紅
『みづゑ』第八十九
明治45年7月3日

 劇の背景といふことに就て、何か話せとの仰せ、お受けはしたものゝ、甚だむつかしい問題です。そこで話題を小さく取って其責を塞がうかと存じます。
 物は眞なるが好しといふ、この語は理論のやがて實際に劣るといふことになる、この見地から出立して、極端なる説を立てると、それが寫實一點張となつて、私の考へてる點から申しますと、極め奧行の淺い次第に成行くのである。理論といふものは、事實を綜合した上に於て生ずるもので、理論が事實でないと同時に事實を離れても理論が外に大切なものとして存在する價値がある、なぜとなれば理論は事實を踏まへて立つものである、理論は事實の從屬でないが、事實は理論の從屬たるべきものだ。
 幾多の事實は理論の應用に供せられる。私は私の問題を語るに於て、私の云ふことは理論に據を置かぬ、一つの事實として聞いて頂きたいと思ふ、なぜかなれば目下の私の多忙は、語るに吝かならねども、推論考説するに、時間の少い譯合があるからである。
 私に脚本を書くのにあまり背景に重きを置かなかつた。私は日本の劇界に置ける背景の進歩に、さまでの疑ひを挿んでおらなかつた。私の處女作「上杉謙信」が眞砂座に於て上場せられた時、私の誂へて書いた背景の註文が、始めて舞臺に現出されたとき、私はあまり失望しなかつた、いな滿足したのであつた。私の脚本が始めて舞臺に上つた脛い喜悦に包まれて、そして萬事を放擲したのでなく、私は私の簡易なる註文がなほよくこんな背景を舞臺に現はし得たかに驚いた。しかもその舞臺は、たとへ作者に交渉を了したとはいへ、肆まゝに一杯のものを二杯にして、半廻しなどを濫用したのでさへ、私にやはり滿足してゐた。
 程を經て東京座で毎日新聞の文士俳優にょりて「甕破柴田」を演じられた時には、私は不滿足を感じた、いかにも費用をかけないのに不亭を懷いてゐた。したが、これは興行方の遣り方の爲めだと思つて、そして苦情も並べなかつた、これは私がその當時、伊井蓉峰氏に賴まれて、内部に小説ものゝ脚色をしてゐたので、背景にも多少の贅澤が出來るものだといふ事實を知得したのに因するのは、われながら明白の事柄である。
 第三に「亂れ笹」を河合武雄氏の爲めに、書下した時には、この方面に註文をさす實際的の智識をやゝ聞噛ぢつてきた。そこで種々のダメを出す、正直なる關係者は面に不滿の顏色を浮かべて、澁々に不馴れなる文句を、嘲笑の目元を湛えて、聞取つたのである。しかし暮の手薄興行のことであつて、さしてこれと申すだけの事はなかつた。
 第四に「歌舞伎物語」が市川左團次氏によりて明治座で演ぜられた時に、始めて私の劇に立派な背景が出來ました。市川左團次氏が西洋の旅から歸つて來て、そして前興行に「袈裟と盛遠」とを演じた。その時には米國でこの種の研究をしたと稱してゐた北村金次郎といふ人が、背景を擔任した、日覆から釣下げた布に畫いた若葉の綠、木蔭に集まれる多くの男女、囀る鳥の音、幕が明けられたとき、どんなに見物は嬉しがつたらう、少くともこの背景は日本の大芝居に洋風の味を入れられるだけ入れたものであつた。しかし、北村氏の背景には美といふものが無かつた、洋風を眞似た、そして直輸入をした、直譯をしたといふに止まつたのだ。背景に美||藝術の味を注射したのは、これに續いた興行「歌舞伎物語」の上場に始まつたといつて差支はない。
 この時、背景を擔任したのは和田英作氏、岡田三郎助氏、北蓮藏氏、中澤弘光氏等であつた。これ等の諸家は報酬といふことを別にして働かれた。これらの名家に、自分達の「畫」が、芝居と接觸するといふことに厚い興味を持つたらしい。和田氏も爲めに私の脚本を幾度も讀まれたといふことを語られた、「どうも背景の誂へが簡單過ぎるよ」と云はれた。全くの所、あの「歌舞伎物語」の背景は、私の創意よりは、むしろ和田氏の創意になつた所が多かつた。なんでもない垣にまで、下邊には南天を描いた、たゞの垣では今までの大道具と同じになつてしまふといふ恐れからだ。
 今までにないことを、許す限りは芝居へ入れやうとした先生たちの努力は、こんな所にまで及んだのだ。第三幕の清水舞臺の道具は、芝居開關以來と誇稱された、内部から外面を見せる、清水の舞臺を三角に切った斜めに取つた柱から柱への間隔、釣下がつた燈籠は寂しい色を見せて、外の美はしい櫻の花盛りと、東洋流の對照をしてゐる。
 劇評家の杉氏は口を極めて稱されて、今までに見たこともないと云はれた。その舞臺の背景と共に役者の技藝も非常に賞賛を受けた。
 これから私の作は度々上場されたが、あまり記憶に止まるほどのものがない。私もまた「歌舞伎物語」の贅澤に馴れて、尋常のものでは飽足らぬ心地がしてゐた。
 この飽滿に輪をかけたのは、同じく明治座の「破戒曾我」であつたが稿が長くなるから、そのことは次回でお話をしませう。

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