青木繁氏の畫を見た時

矢代幸雄
『みづゑ』第八十九
明治45年7月3日

  忘れもしない、彌生廿六日の午后赤城君と後藤君と、それから僕とば、東台の花を外に、此人の繪を見に行たのであつた。新聞や雜誌で、夭死したる天才であると聞いた丈、僕は其他に何も靑木氏に就て知らなかつたから、別に特殊な期待を持たず漫然誘はれたを幸ひに、ポカンと來たまでゞあつた。そしてそして、僕は?いてしまうのであつた。
  西洋畫家の日本畫と云ふ嚴かめしい名の下に、コマ畫を擴げた樣な、人を馬鹿にした、ぞんざいな代物に、賣れそうな安價をぶらさげて、目まぐるしきまで遠慮會釋なく曝して居る廊を廻つて行くと、此度は新歸朝者の作品。多少、呼吸を吹返して田舎者の東京見物の樣にキヨキヨして進むと、最後の暗い室に・・・・僕は思はす身顫ひをして、躯が硬くなってしまつた。胸には亂調子の動悸までして、動くのが厭になつた。
  今迄喋つて居た僕も、口をきけなくなつた。赤城君は元來默つてる男である。皆んなは別々になつて、各が向き向きに繪を眺めた。
  臆靑木君。如何なれば、君は斯くまで眞面目であつたか。輕佻浮薄、滔々として世に漲り、人或は世に媚び、阿賭物に戀々身世を忘れて、感激の赴く儘に、突進踴躍す可き藝術界すら、勸工場然たる展覽會に、手頃な賣れそうな畫計り列べる世の中に君は、如何なれば斯く計り思ひ切つて、自己の信念を貫いて行かれたか。沼の繪は血と汗と涙とを固めた「眞摯」の結晶である。「努力」の結晶である。繪が繪として上手か下手か||夫んな問題を考へる以前に、僕の首は、此底の底まで眞面目な、至誠な一個の人格の前に、垂れてしまつた。
  嗟、君が夭くて?れたのは無理はない、こんな眞面目に深刻な畫を描いて居たら、如何なる頑固な躯でも堪るものではない。君の爲人は一切知らぬが、君には藝術は、生か、死か、どつちか、と云ふ命懸けの問願であつたらう。身とか命とかは鵞毛所ではない、全く念頭に入り得なかつたのに相違ない。彼の自畫像に現れた凄い顏の君が、紫電の如きインスピレーシヨンに導かれて、人も、世の中も、我も、何もかも忘れて、幻の樣に筆執る所が、看る樣である。筆端からは赤誠が血潮となつて迸る此赤誠と血潮とが、凝つて、湛へて、幾禎かの繪と成つた。同時に、君の躯は、赤誠と血潮を流し盡して、焔の燃へて冷き灰に皈る如く、斃れた。君が畫を見よ。「いろこの宮」の大より「歌留多」の小に到るまで、||而して、特に小なるを見よ。方二寸に足らぬ小なる畫に耗したる精力は幾何であつたらう。楮毫一抹の影と見ゆる鼠色も、近寄つてよく視れば、紅綠紫藍、虹の七色から、渾然と成つて居る。一寸の十分の一の一劃すら、一分の十分の一の一點すら、夢、輕忽な筆痕はない。此一線、此一彩は、繁氏の生命の斷片の樣な氣がして、僕は慄然として背が寒くなつた。
  鳴呼、明治の藝術界は、(僕の知る限りに於て)三つの偉材を産むだ。彼等は、三人共、才面を異にして居た。然れども、死ぬ程眞面目なる點に於て、啻至誠のみに動き得たる點に於て、藝術家たる高き天職を眞正に自覺したる點に於て、一字一劃の微に到るまで遊戯と輕卒とを吝みたる點に於て、而して、雄圖を抱きつゝ夭折したる點に於て、一致して居る。彼等は、恰も流星の樣に消え去つた。其光の輝きし丈、而して、其命の短かりし丈、消えての彼は寂しかつたのであつた。詩人に於て國木田濁歩氏であつた。彫刻家に於て、荻原守衞氏であつた。畫家に於て、僕は、此靑木繁氏であると云ひ度い。彼等の作品は量に於て僅少なものであつた。然しながら、生命のエキスとも云ふ可き此作品は、永久に、人類の至案として輝くであらう。所謂、小説として、彫刻として、繪畫として、結緒と絢燗とを極めた立派な作では無いかも知れない。されど、此等は、藝術の眞の天籟たる至誠の響きを傳へる。文明てふ妖魔に魅せられて、浮薄に眠り、表面に眠り、形式に眠らんとする人類に、警鐘を鳴らして、人格の尊嚴に醒めよ、と説くであらう。白熱熾烈なる天才の赤裸なる精神其自體に、直接に觸れしめて、看者の胸奧の琴線に、人生の悲調の共鳴を起し、「丹誠天地を憾がす」てふ、千年の金言を感得悟入せしむるであらう。此こそ眞正の意味に於けろ藝術である。
  眞面目、至誠、語は古いけれども、其例は、中々、見當らないのである。稀に見當つた時に、心ほ奧底から振はれる。愕然と醒めて、自己の立脚地を自覺する。此時、吾も亦尊き靈性を有し得る人間の一個である、と自覺する、至誠の力は斯くの如く大きい。吾は此心地を懷いて、靑木氏の繪の前に、佇むだのであつた。
 

小娘中澤弘光

  嵯、世の所謂藝術家に、何をして居るのであらうか。主觀を通したる客觀とか、客を通したる主とか、言ひ廻しは幾らもあらう。然し、要するに、藝術とは、自分が享けたインスピレーシヨンを、或は弦に、或は石に、或は紙に、落したものであつて、作品に現はるゝに藝術家自身の精神で在る。其自身の大感想である。然るに、何故なれば、世の藝術家と稱する人は、此精神と此大感情を磨かぬか。勿論畫家である以上、畫筆を採つて、何でも思ふ儘に、描き出せる技術を修得せねばならぬ。技倆の練磨は、彼等の義務である。然し乍ら、五彩を畫布に點綴するは、思想感興の發表の手段に渦ぎない事を忘れてはならぬ。藝術家は技術に遊する義務あると同時に、傳ふ可き大精神大感情を薰養鞠育す可き、更に大なる義務あるを思へ。何程畫く術に長けても、傳ふ可き大精神無くば、綺羅を纒ひたる臭骸に過ぎぬ。藝術家の努力の第一に向く可きは、大感情の涵養に在る古來の醇乎たる風騷の客を見よ。手近な例ならば、獨歩の「欺かざるの記」を取りて看よ。如何に、眞の藝術界の巨人が、身を忘れ、世を忘れて、天地の大感情に融合せんとしたか。如何に、煩悶懊惱を重ねて、インスピレーシヨンを呼ばんとしたか「梅毒を病みたる女等を畫いて得々たる畫家よ、其他好みて奇しきを畫かんと欲する畫家よ、足下等は「新しい」てふ快き文字に醉ひつゝ、自己の好き嬢ひを遠慮なく表す點に於て、自ら僞らぬと稱して、得意がるけれども、「梅毒を病みたる女」や、「塵溜」にしか心を躍らす事の出來ぬ自分の醜穢なる精神を、羞かしとは思はぬか。自ら僞らぬ眞面目な態度に僕は大に賛成する。然し僞らずに描き出さるる、君等の精神を見ては、同じ人間に生れた君等に對して不愍に感ぜざるを得ない。
  若き人々よ。高き藝術の神に身を捧けんとする人々よ、希はくは技術の習得を怠らぬ共に、更に偉大なる人格感情の修養を努めてくれ給へ。而して、藝術に莅む態度は、願はくは、死ぬ程、眞面目であつて欲しい。神聖なる藝術に臨む時は、敬虔なる態度を飽くまで保持せん事を希ふ。俗界の寵兒の、夢にも察する事の出來ぬ君等の、いや尊き天職を自覺して、おろそかなる振舞はして下さるな。
  顧みれば、默々たる赤城君、後藤君は、共に顏が蒼い。後に談ったら、天才の作の前に立つた此三人は、同じ思ひに胸は高鳴りしたのであつた。
  附記。靑木氏の水繪二枚は赤城君の非常な盡力によつて本誌 の口繪とする事が出來た、所謂手本としての以外によく心を 凝らして看られんことを望む

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