寄書 スケツチ
秋葉
『みづゑ』第八十九
明治45年7月3日
日があたつたかと思ふとかげるいやな天氣だ、同行四人、曰くY君、曰くT君、曰くA君、曰く僕、但し僕と云ふ名ぢやない、僕だ、A君盛んにシヤベリ散らす、談笑又談笑、ずんずん歩くばかりだ、田端に來ると、パット開けた田野、筑波はかすかだ、花火が上る、麥は黄ばむてゐる、長閑かな、のむびりとした、いつ見てる好いあきない景色だ。歩きつかれて三脚をすへたのは、それから一時間ゆつくりすぎて後だつた、今まで雲雀のやうにさへずつた四人も、散兵線を張つたようになつてスケッチを始めた、空がドンヨリしてきた、變化のないつまらないのを一ツやつた。遠くに一帶の森、それから屋根のつゞき、麥畑が廣がつて近景は茄子の花が眞さかりだ。Y君印象派だって、無暗に赤、黄、靑をベタベタぬりつけてゐる。
一枚やつつけて、つまらなさそうにバタバタ箱にしまひ込む。まだ早やいからテニスをやらうつてポプラ倶樂部に行く、誰れもゐない、すぐ倉田先生がお出になる、Y君の下手には驚くばかり、第一ラッケットに球があたれば上の部、少しつかれた頃中川先生がお出になる、0君S君四人ばかりドヤドヤ來る、吉田先生も藤井先生もお出になる、夢中になつてやつてゐるうちに球が見えなくなつたので止した。しばらくやらないでゐたので腕や足が痛む、腹がへる、上野公園に來た時は歩くのもいやになつた。