寄書 失敗記

洗帆生
『みづゑ』第八十九
明治45年7月3日

 旅に持物が多かつたので、三脚を持參しなかつた、處が翌日寫生に行つた、暑いので神社の森の中へ入つて神前の銀杏の木を寫さうと場所は定まつたが土の上へどつかりは困るしと云つて別に何ぞとそこらを見ると幸ひ宮の軒下に瓦が四五枚あるのでそれを、丁度よい場所へ持つて來て腰をかけて始めた。處が半にして足やら腰の邊がイヤにムヅムヅするので見ると、小さな蟻の奴がゾロゾロ這つて居る、吃驚して立ち瓦を一枚上げて見ると下には幾萬と云ふ蟻軍が地震とでも問違へたか玉子を喞て宿替の最中、之には閉口だ、切株のある處は日がさして居るし、手水鉢の方では位置がいかん、百計盡きてスケッチ箱を土の上へ置き自分は吉田先生の眞似をしてやつと晝までに書上たが隨分苦しかつた、立上つても脚氣でしびれた足のやう、歸つて見ると筆洗の中て四五匹蟻の奴が土左衞門になつて居る、これは筆の先へつけて入れてやつたのだ。
  僕は此の日つくづく三脚の効用多きを知つた假令スケツチブツク一册持つて出かける時にも三脚丈は持つて行くものだと思つた、三脚物語の三脚君の威張るのも無理はない、呵々。

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