讀者の領分


『みづゑ』第八十九
明治45年7月3日

▲吾々は水繪をどこまでも尊重したい、又色彩に依って生活の一分部の充實を期すと云ふ考へから今度TASOGARF會と云ふ畫會をこしらへて色彩の妙味を味ひ、美的觀念を以つて、審美的見地から生活を豐富にしやうと云ふ事にした。主として水繪を研究しやうと云ふのが吾々同人の考へである。諸兄の中吾々の擧に意ある者があるならば是非御賛成を願ひ度い、それで毎月一回水繪の畫集を作つて同人作品の批評をし合ふと云ふのである。一集は既に作つた。會費に金五錢である、畫集は美しい華やかな感の好いものを作るつもりである、同人は毎月水繪三枚を出し合ふ事にした、(ワツトマン十六切以下)紙はワントマンでなくともよい。會費は郵券で御送附願ひ度い、九月頃同人の作品展覽會もする考へである、其事は委しく御賛成の諸君に御相談する考である。委しい會則御入用の方は二錢郵券封入の上御申込を願い度い。御賛成の諸兄は下名迄御一報を願ふ。(長野縣諏訪郡四賀村三〇三番地橫川毅方 たそがれ會宛)▲大阪では近頃盛んなものだ日曜など少なくとも五人や六人には必ず遇ふ自分は年にも肖ず腕若かなのでうら恥かしく影ばかり迫つて居るのだ、自分は先月初めて羅針盤を得たそれまでは先生も良友も何にも持たなんだ故に殊更に會友たるを得たのを喜ぶ。斯く孤客として物淋しくやつて居ても確然たる自信はもつて居たのだ、尚今後も持續したいと思ふのだ、そは「徒に人を摸す愚は斷然やるまい、出來るだけ苦勞をして感想を着實に寫したい」これだ、今後本會の指導に依て如何に變化するかは知らぬが、それでも決して消化せずには取らぬつもりだ。僕に思ふ「繪に百人百樣のものだらう師を慕ふても必ずしも流を汲まねばならぬものではあるまい」これが僕の主張だ。新入會の挨拶にかへ主義と主張を(大阪散濤生)▲八十八號の挿繪では、『臺灣の沿岸』と『溪』とが最もよい、記事では『調色に就て』は有益の話であり『水彩畫評』も挿入の寫眞版と共に面白く讀みました、しかし忘る可からざる記事は、みづゑの續刊に就ての一文です。尊敬すべき大下先生沒後から本日に至る本誌の履歴を見ては同情にたえられません。どうか編輯者諸君には御自重あつて本誌のために盡して下さい。(AMA成節生)▲僕は「みつゑ」を無二のフレンドとして居る、たから、毎月末になると毎日毎日郵便配達が來ると「みづゑ」ではないかと思つていつも出て行くのである、そして手に入ると先づ挿繪を見る、八十八號の原色版等はいづれもよかつた。して息もつかずに記事を讀み通して仕舞ふ、さて見てしまふと又來月のが待ちどほしくて仕方ない、殊に巻末の來月豫告を見て大方を豫想して見ると尚更待ちとほしい、そしてわけもなく日の立つのを喜ぶのである。どうか、成るべく毎月早く發送して下さい。(小田原、合歡の花)▲近頃「みづゑ」の體載が大分とゝのつて、非常に嬉しく思ふ、石川先生の御話は吾々地方の者には 非常に有益に思ふ。どうか講話めいたも のをどしどし御掲載願ひたい(石狩、山 崎生)▲當地で此の夏講習會を開いて頂 くわけにはゆかないでせうか。希望者も 可成ある樣に思ひます。吾々地方の者は直接良師につくことが出來難いから時々 講脅會の開かれん事を切に望むのである (靑森市、松井高志)

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