繪畫鑑賞法の一節
『みづゑ』第八
明治39年2月3日
藝術の諸大家は多くはこれに依りて新作を得べきものなりとして水彩畫に眼を注げり。米國に於ては殆んど年に一回この水彩畫の趣好は畫家を驅りて、其油繪の至難の業を馳せしめ、以て輕快なる曲調の伶人たらしむ。夫れ或は油繪の如く嚴格に非ざるが故に銷事もしくは無價値のものたりとすべからず。これ宛も以太利もしくは佛蘭西の音樂は、獨逸の音樂と同じからざるが故に全く放棄すべしといふと一斑なり。
『みづゑ』第八
明治39年2月3日
藝術の諸大家は多くはこれに依りて新作を得べきものなりとして水彩畫に眼を注げり。米國に於ては殆んど年に一回この水彩畫の趣好は畫家を驅りて、其油繪の至難の業を馳せしめ、以て輕快なる曲調の伶人たらしむ。夫れ或は油繪の如く嚴格に非ざるが故に銷事もしくは無價値のものたりとすべからず。これ宛も以太利もしくは佛蘭西の音樂は、獨逸の音樂と同じからざるが故に全く放棄すべしといふと一斑なり。