寫眞では物足らぬ
山下木石
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日
野に山に寫眞器械を携へて出た時に、雲雀の落つる麥生の緑夕日照り添ふもみぢの紅、ピント硝子に映じた景色の美しいこと。されど、之が、原板となり、印畫となつて、現はれたる頃は、もう、一枚の墨畫に過ぎぬのだ。あはれ天然の色彩はいづくにか消えて、棄てがたき自然の調子に床しき名殘を止むるのみである。
あゝ何とかして、此の天然の色彩を其のまゝに紙上に止める工夫はないかしら?
野外撮影にピントを合せる時、いつもかういふ考が浮んで來るのである。幼稚な理學は未だ天然色寫眞を作すまでに進んで居らんのだ。(原色寫眞の三色配合も學理と實際とは合はんやうである、)若かず天賦の雙手によらんにはと、自然の美を愛する餘り、遂ひに繪畫の技を學んで、四季折々の移り變りのあはれ深きを味はんと思ひ定めた。繪畫といつても種々である、漢畫の流を汲まんか、光線が何うの、位置が何うのと、レンズを透した映象を見慣れた目には、耶馬溪的氣韻主義は、只、不自然なと思ふばかり。さらば洋畫の門を叩かんか、片田舎の悲しさは、色どり美しい油繪や水彩繪は印刷物を見る位で、名匠が苦心の肉筆のそれには、遂いぞ接する事が出來なんだ。然し、雜誌の口繪や單行物で、眼に觸れる事が度重なるにつれて、暗箱のピント面に映る景色が、肉眼で見た自然の色彩のそれよりも、美しいやうに、これも亦と思はれるやうになつた。かうなつては、是非洋畫をと思つたが、中學時代に、鉛筆畫を義務的にやつた位では、徒に望洋の嘆を發するのみで、チュープ入の繪具をパレットの上で合せて、平筆で塗り上げて行くとかいふ油繪は、只恐ろしいと思ふばかり。水彩繪の方は、稍入り易からうかとは思ふものゝ、どんな順序にどんな繪具を使つたらよいか夫れが第一に判らぬ。譬へていはうなら、行き暮れた深山の夜に、谷間の燈火を認めたが、其の谷に下る逕が知れぬと同じ煩悶、幾度か高じ、幾度か減じて、空しく月日を送つてゐたが、一年、大學人類學教室の大野延太郎氏が、太古遺跡調査の爲めに出張せられた。自分も人類學會員である處から、照會に接して諸所を案内する中、大野氏は畫家であつて、ちよいちよいと遺跡や遺物を寫して行かれる。好める道とて、スケッチブックの一覽を乞ふたが、旅先のすさびとて、多くは鉛筆の略畫だが、中には水彩繪の念入りなのも混つてゐた。これなるかなと膝を打つて喜んだが、多忙の氏を煩はさんも本意なしと思ひ、紀念として、白扇に石鏃數種を畫いて貰つただけで袂を分つたが、さあ是から水彩繪熱が急に増して來て、斷然實行しようと决心した。もよりの町から繪具とスケッチプックとを取り寄せ、先づ臨畫の稽古に取りかゝつたが、薄い色から濃い色に位の説明を聽いただけでは、更に原畫の面影を傳へる事が出來ぬ。斯道にかけては、師もなく友もなき身は、只、失望するばかり、嘗て寫眞獨習の初期に、屡繰り返した現象の失策と同じ趣である。自分は或書を師として、何うにか寫眞を獨習した身である、水彩繪とても、或る程度までは、或書の指導にょり自然を師としたら、出來ぬ事もあるまいと、自ら慰め勵ましたが、さてこれにはどんな書物がよからう?兎角する中、某雜誌上で初めて知つた「水彩畫の栞」これぞと早速取り寄せて、觀たは觀たは幾遍も、其の指導のまゝに、折々石版刷の摸寫や器具の寫生などをやつて見たが、我ながら呆れた腕前、未だ未だと思つてゐる中、何等の幸ぞ!昨の夏八月、眞野紀太郎氏が先史有史兩期の遺物を觀にとて、ゆくりなくも訪ねられた。氏は絹の清流に筆を洗ひて、しばし其處に畫想を練らるゝと聞きし時の嬉しさ、初めての方に失禮は宥させたまへ、盲龜の浮木と、教を乞うた。氏は快く諾せられて、須磨の早天、富士の遠望、海邊の夕陽、都合三枚の繪はがきを、懇篤な説明と共に畫いて呉れた。此の時に備へた繪具は田舍町での最優等品、實は佛國製の下等品で、コバルトやインヂゴーやチャイニースホワイトのやうな重立つた物すら省れてゐて、しかも、ガンボーヂやアイボリーブラックは固まつてしまつて容易に溶けぬ始末、實に恥しい次第であつた。
實地に就いて專門家の説明を聽いた今、以前の事を思へば、隨分無茶をやつたものだと背に汗流した。知らず知らず「水彩畫の栞」の注意に背いて、そして氣がつかなかつた事を悟つた。それから、又「洋畫一斑」や「スケッチの栞」を讀み直す、『みづゑ』を購讀する、『水彩畫階梯』を取り寄せる、相當の繪具やワットマン紙スケッチングブロックを文房堂に注文する、同志を募る、茲に初めて谷の小逕が見當つだ、一點の燈火は希望の目標、巖に激する溪流を冐して、猛進するは天才を有して美術家たらんとする者、余は行けるだけ行つて見ようといふ即ち娯樂の爲め、さなり、實に高尚な娯樂ではあるまいか。
二三年も心がければ一寸とした繪はがき位は畫けますよとは眞野氏の言、自分に取つては百萬の味方を得たも同然、どうか早く見苦しからぬ一葉の繪はがきを作りたいもの、さていつになつたら出來ようかしら。
水彩繪に志しゝ動機を記す筆は、いつしか走つて其の歴經にまで及んだが、自分のやうな境遇は、西の國の名ある畫堂を經めぐり、親しく名家の作品について丹青のあとを尋ねたる美術家、或は、同じく娯樂の目的とはいへ、身帝都に在つて大家の指導を受くる、幸福の神の寵兒達には、夢にも知らるまじき我等が煩悶、幾度か絶望の俘となリ、僅に自然を愛する情の手に鎖を解かれし事の、ひとり心に秘せんより、語らば胸もすかうかと、チュープの口の幾廻り、くりかへしたる長物語、片田舍の不自由さは、さもあらうかと、お笑ひ遊ばせよ。