身は島守の海にのみ
島人
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日
校庭一面しきつめた緑草の間に散りこぼれた櫻の花瓣が二三日前からの雨にぬれついて花の衣をつけた若草の間からは白い雲も出ようかといふ朝
いつも日曜の日課として圓政寺町の先生の許へ日本畫をならひにゆく、丁度此の日も前から暇々にかいて置いた畫を卷いて長い廊下の舍を出る、と理科教室の棟から晝でさへ杜鵑なく鴻の峯の翠こぼれんばかりに欝蒼とまろく高く聳えて、新聞社の屋根越しに見ゆる春日山の一本松を中心に左右に延びたこの峯裾の緑、春もやゝたけて流水花なきの今日この頃、ねむらせて養ひたてよと誰かもいひし春の雨、未だまたく霽れず鼠雲紫雲姻くづれては濤うつ如く、自蓮華みだれては牡丹に似、峯をはなれ空ゆくあれば、谷を下り麓めぐるも澤にしていつしか思ひは遠く詩神畫妃の殿堂にはせ、いかになさば此の偉なる趣、感ずべきか、何學ばゞ永久に此の大景世に傳ふべきか、我や今中學の三年生たりとも學びなばいかで畫かれざる事やあらんと、飽かずもなは寒き敷石に立ちて眺むるに、羊群れゆくと見れば獅子いかれるさまをなし、虎はしる如く見ゆればはや眠れる象に形どられ、千變萬化限りなき春の雲誰かよく如斯きの奇景を畫きし日本畫家やある、富士の繪によく雲を見れどそは高きを現はさんと棚引雲のみなりし、されば朝夕に見るリーダーの挿繪こそまことに一片の雲をもゆるかせにせず畫かれたり、然り洋畫なるかな洋畫なるかな。
『オイ何うだ君は』!不意を打たれて顧れば同級のF氏、手にせし日本畫はいつしか握りしめられてF氏の言葉きけども聞えず。
かくて後、洋畫のうちにも社生上最も輕便にして最も活溌にして清楚なる水彩畫にしくものなし、と學びそめてより日甚だ深からざれども、當年の意氣またゆめのごとく消えて、身は島守の海にのみ日ごとの彩をながめつゝ、
まゝならぬ筆に多きは日毎の涙なりけり。