一生の娯楽
大塚幹
『みづゑ』第十一 P.3
明治39年4月18日
僕はは少さい時畫の巧な一人の友をもちました、それは、礬水引の紙にかく畫でしたが、友は時々水繪の事を語リました、それが私の幼い頭に水繪は淡くイヽ加減にごまかして描くものだと思はれました、そこで安い紙箱の繪具で雜誌の口繪を描きましたが素より下手なのですぐやめました、併し卅五か六年の一月の青年界に三宅先生の日の出の水彩繪がありましたので又描く氣になりましたが、一年二年とたちましても無論上手になりません、一昨年の夏頃から繪葉書の流行のためか水彩畫を描く友が急に殖えました、私も其の潮流に乘りましたが、友と戸外寫生しても下手の一人であります、私は畫才を持たぬのでせうが、而し失望はしません、決心はやゝ固くあります、私は專門家となろうとは思ひませんが、一生是を娯樂としようと思つて居ります。