大きな聲で水彩畫とは
辻本靜波
『みづゑ』第十一 P.4-5
明治39年4月18日
朱に交れば赤くなると古語にも言つてある通り、自分も水彩畫に志せし最初の動機は、實に我が朋友が然らしめたのである、この高尚優美なる水彩畫を學ぶべき動機を得せしめたのは、即ち我が朋友なのである。
自分は浪速の學校に居る時分、同室にて机を並べ朝夕親んて居つた友は、最も水彩畫に熱心であつて、常に筆を探って畫き、自慢顔に余に示すのである、其度ごとに余は水彩畫は最も高尚なものである、最も趣味のあるものであるといふ觀念を得たのである。
余一日友に向ひ「君水彩畫を畫くにはどーすればよいのだ、教へてくれ給へ」と、言ふと友は机の引出しから一册の本を出し余に示して、「これを讀み給へ、水彩畫は如何なるものであるかと言ふ事がわかる」と、教へてくれたのである、これ即ち『水彩畫階梯』であつたのである、一讀また一讀…………大に水彩畫の趣味を解したのである、そこでぢきに筆をとる氣になり一枚を畫いた、勿論畫にならなかつた由友に注意を受けて數枚を畫くとやつとの事でこれと言ふ一枚を得た、しかし完仝とは言へない、大きな聲で水彩畫と言へないけれども大奮溌して圖畫の教師に見せると初めてにしては上出來なりとの詞を給はり大に力を得益々この道を研究する樣になつたのである。