御見舞に水彩繪具

蒼海
『みづゑ』第十一 P.5
明治39年4月18日

 丁度私が高等科の二年の時でありました、永らく病氣で一室にふさいて居りますと、兄さんが私に水彩繪具を見舞としてくれました。
 其時から繪がすきになりまして、新聞の挿繪などを彩色しました事は非常に澤山でした。高等科を卒業するまでに一箱三錢五厘の甚だ惡い繪具でしたが十箱ばかりは使いました。中學校へ來てからは圖畫の時間は澤山あり、繪具は善いものが手にはいり、先生は非常に上手な方で、私は喜び勇んで益々勉強しまして、今ではすこしばかりは畫ける樣になりました。仝く私は病氣見舞の繪具が動機となつたのでありまして、此樣な例は他にも少くないだろうと思ひます。餘事ではありますが先日時事繪葉書にあつた露の干ぬ間の朝顔を模寫して友人にやりましたら大層ほめて一句
 朝顔の瑠璃の色こそ嬉しけれ
 嬉しさに又かいて友人二人に出しますと共に
 失望のわれに朝顔咲けりとは
 朝顔に暫し見とるゝ我身哉
 とありました之れも水彩畫の一の利益でせう
 

相生橋後藤百次

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