新しい美の世界
寸草
『みづゑ』第十一 P.6
明治39年4月18日
誰でも繪畫を學ぷものゝ總て經驗する所であらうが、僕の繪畫を學んだ爲に得た最も著しい利益は、批評眼と鑑賞眼と觀察眼とを養ひ得て、隨て又今迄よりは非常に樂しみの多い生活を爲す事が出來る樣に成つた事である。展覽會、新聞雜誌の挿繪口繪、其他繪葉書などに至る迄、今迄は單に美しいとか見て心地好いとかいふ外には、何の興味引感じなかったのが、繪畫を學び始めてからは一寸した新聞の挿繪や雜誌の口繪などにも、限無き趣味を感ずる事が出來る樣になつた。
又今迄は極々平凡なつまらないと思つて居た景色の中にも、到る處それぞれの美を發見する事が出來、草木鳥獸、水の流山の姿、波の起伏雲のたゝつまひ、總ての物の形と色とその特徴とが明かに眼に入り、散歩に旅行に、其他有らゆる場合總ての物に或美しい感興を引起す事が出來る樣になつた。此事は繪畫に趣味を持たぬ人と散歩する時など殊に深く感するのである。又旅行などして氣に入つた景色をスケッチブックに納め、歸つてから時々出して見る時の樂しさ、到底經驗のない者には想像も出來ないであらう。
繪畫を始めてから僕には一の新らしい美の世界が開けた樣で、行住坐臥常に無限の趣味と無限の慰藉とを得つゝあるのである。僕は自ら樂しみ多き、美しい、趣味ある、此多幸なる生活を爲し得るやうになつたのを誇ると共に、世の青年諸君が亦此美はしい趣味を味はひ樂しい生活を得られん事を希望するのである。