滑稽な反抗心

土筆
『みづゑ』第十一 P.9
明治39年4月18日

 『山は遠き程高く描いて路は常に横キザを入れてある。由來日本畫の見るに堪えぬのは斯くの如く實景を寫さゞるが爲である』。と誰やらが何かに書いてあるのを見た時僅かに四君子や佛掌薯山水を學ひたる予は
 高きに登つて俯瞰すれは或程度迄は遠き山がたかく見える、日本畫は俯瞰的に其圖を取つたものである、而して其然る所以のものは日本の建築や装飾か多く竪長きものを要したからてある。又山路は濘る事を防ぐが爲に實際横に刻みてある。若し土が軟かでそれが出來ない處は往々丸本を横へて足溜を作つてある。平地の路と雖車轍の通ずるのは近來の事である、況んや日本人は横齒の足駄を穿つではないか、是等は决して實際に反したものでない。而かも日本畫の長所は此に在らずして彼に在り。など
 一時は頗る滑稽なる反抗的意見が胸中に湧出した、しかし此時から予が好尚は一變した、そして終に筆を水彩繪具に染むる事となつたのである。
 是が丁度六年前の事である、されど悲哉如何に余暇での事とは云へ、未だ人に見せらるゝ程の繪は出來ない。

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