スケッチと査公
寸草
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日
去年七月學友二人と秩父の三峰山に寫生旅行を試みる時の事であつた。
大宮に着いた晩三人にて早速町の風俗を寫生に出掛け、僕は或呉服屋の店先を一心に眺めながら鉛筆を動かして居ると、筋向ひの警察から、帽子無く帶劍なく下駄穿の査公がノコノコ遣つて來て『何をなさるですか』『スケッチです』『エ何ですか』『スケッチです、繪を描いてるんです』査公先生六ヶ敷事をいはれオマケに大變な姿を見上げ見下ろされて這々逃げ込んでしまつた。
其翌々晩も亦寫生に出掛けた。僕等の寫生が大分狹い町の人目に着いたと見えて、婦人などは目を側立てゝ逃げるやうにして居る。僕と友の一人と例の如く往來に立つて『繪圖』を取つて居ると、若い口髯を生やした男が五六人の若者と共に、ヤオラ友の傍に近付き、『失禮ですが、私は當所の巡査でありますが何をしてお出になりますか』藪から棒の此一撃、流石の友も面喰にざるを得ない。査公を早速追返へしたものゝ、胸に滯りたる不快の塊は袂を拂ふ夜風の凉しきに散らうともせず『アヽつまらない、君不愉快だ、歸らう歸らう』。