葉櫻青き嵐峽へ

霞峯生
『みづゑ』第十一 P.13
明治39年4月18日

 私は一昨年三月頃から水繪に志したのであるが、始めて郊外へ出たのは丁度其の五月八日であつた。朝早くから家を出て同好者四人葉櫻青き嵐峽を目懸けて進むだ。途々よい所を探したが、渡月橋に着いても猶見つからぬので、前進をやめ橋を渡つて桂川に沿うた小徑を下つた。暫すると一の鳥居が見えたので境内には嘸ぞよい場所があろうと一同勇み立つて探した。然し一向思はしい所が目に付かぬので失望して境内を出ると丁度自分等の居る所から半町計り向ふに二個の石燈籠と鳥居があつて、傍に木が二三本並んで居るので一つ試めさうと皆筆を取つた。然し乍殘念皆失敗に終つた。自暴になつた一同は匇々其所を引上て梅の宮近傍に出ると、田一面にゲンゲ草が咲き滿ちて、形容の出來ぬ程麗しく見えた、そこで之よかろうと忽ち筆を取つた。僕は可なり佳い成績を得たので、其時は實にたとへ方のない程嬉しくて猶誇り顔であつた。然し今から見ると馬鹿々々しくて呆れる位である。やがて暮近くなつたので其儘解散した。
 家を出る時は少くとも四五枚寫し得る考であつたのに僅二枚しか取れず、而かも面黒い成績なので實に僕は其時始めて、郊外寫生等到底初學にやりきれぬ者だと悟つた。それで其の後は只管靜物を練習してゐる。
 

犬吠崎池田正孝

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