島守
『みづゑ』第十一 P.13-14
明治39年4月18日

 夢なりけり
 そつと閨をぬけて海につゞきたる庭をさまよふ、夜霧深くして北も、南も世の創めに似たる島々の影、曉ともなり、朝ともならば、はな島は小松の可愛らしい島、馬島は壽命院をとりまいて青葉がいきいきとし、歌が小島は阿多々の島と橋が架けられて間は鹽たく濱の、ゆるゆるのぼる二すじの白い煙。月新らしければ空は星のみなり、西の木戸を出ると松の林、虫の音をふみ、露をころがして、南にめぐつて居る磯に出た、おぼろながら沙は白いけれど岩はくろい、漣よする大きなのに倚つてさきの夢をおもふて見る。
 霧はからだをまいた。
 この島を去つて、南の奈賀島をさつて、更に南、世古島の東に出ると正面に平群島の山、右手の遠に八島がかすむで、左に國の樣な屋代島の紫、返り見ると大座山がかぶさるやうに翠をかざして汀には白浦といふ小湊がある。
 ある夏のたそがれ、吾等の船は遠い國の東からめぐつてこの港についた、嵐おさまつて船のやるすべなくその宵はあそこに停ることゝした。船體は陸とはすになつて舳を沖にむけ油のやうな汐に浮むで居る、右舷の窓にのぞくと西の空は火をながしたかと思はるゝ朱赤丹紅、嘗て師の堂にて見し英國閨秀畫家のかきしといふヴィリジアンを含むだ紫の夕雲北より南に棚引き、大座山の脈は奈賀島となり右より西にかたむき、雜木多い世古島はまともに藍褐蒼紫濃く、西に出でたる岬の緑あかるき松、東にたちし巖のセピア冠りしニユートラルチント、大洋左に展けて緋の打紐の幾流れ、平群に夕炊たく姻ほの見えて、ゆく舟かへる舟みな歌に醉へる、平和の浦の靜かなるかな。小舟に擢とつて謳ふらく
 あゝうつくしきひと時の
 戀の如くに、海のいろ
 戀のごとくに、島の幸
 みどりの夏は
 暮れむとす
 舟をまはせば、さつき僕が倚つて居た窓に弟が出て、潮温い南洋の島から拾つて來た瑪瑙色の貝の笛を吹いで歌に合して居る、折しも羽根白き一羽の海鳥鷹揚に檣をまわつて天より水に落ち、船のうしろに浮いた、八島の遠はたそがれの幕しつかにたれ、空に一片の雲もあらねば水に一葉の舟もない、平和の浦の寂かなるかな。
 更に思ふ、彼れが眉目美しき貴族の伶人であつて、共に國を逃れ來し僕が戀人とさすらふのであつたならば、これ一篇の詩でまた一幅の繪ではあるまいか。
 かへつてすぐ泉に走りパレットを洗つて置かうとおもふ。
 船虫であろう、左足の踵に一寸はひのぼつて直ぐ下りた、水の樣に流るゝ曉のあらしにふかれてまた松の林をくゞり、「窓の灯の草にうつりて虫の聲」する庭へ裏木戸よりかへる。

この記事をPDFで見る