子規先生が媒介

正覺山
『みづゑ』第十一 P.19
明治39年4月18日

 私は元來俳句が大好きで、雜誌ホトトギスを無上愛讀誌として居るのですが、曾てホトトギスには黙語不折爲山等の諸氏が或は描き或は論ぜられたので、私も不知々々繪畫の趣味が感ぜられ。又俳句と繪畫とは密接な關係があると云ふ事も覺られたのでした、けれ共其頃は繪畫の思想は甚だ幼稚なもので、日本畫の區別も西洋畫の區別も何も無しで水彩畫と云ふ名さへも知らなかつたのでした、が或時たしか日本新聞であつたかと思ふ、子規先生が爲山氏と畫論をせられて、終に先生も水彩畫を試る事と成られた記事を讀で、私も大に同感せられたのでありました、此時初めて水彩畫を習ひたいと思つたのでした。然し元來私の家庭は這般の餘暇が與へられなかつた爲め、今年迄空しく經過してしまつたのは實に殘念の至りです、但し漸く昨今ボツボツ古い手本に依て習ひ出す樣に成つたのですが、之れまだ不幸中の幸と思つて居るのです。
 返す返すも當時より習つて居たら、今頃は繪はがき位は自由に描かれるであらうにと、遺憾此事に思ひます。
 

春の郊外岡本末松

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