店頭寫生
碧花生
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日
水彩畫をやつて見やうと志したのは、一昨年の春で其動機とも謂つ可き物はこうである。私が小學時代の事で、常に朋友七八人往來しては畫を描いて遊んで居つた、小供同士の事であるから、種々な繪本を取り集めて、半紙や薄葉の切へ透き寫しをやり、赤、青、黄、紫などの極端な安繪具を藥種屋から買つて來てベタベタと塗り付けて居つた、そして出來上つた畫は、其れを商品と見做し石や燐寸を通貨と見做して互に商買事をして遊び、又は友達同志での多少を誇り合つて遊んで居た。此のやうに繪具を玩具同樣にして居つたのも不知不識自分をして繪畫大きく云へば美術に憧れしむるやうに感化して呉れたのである。かくて高等小學校へ入ると學課として圖畫を課せられる、自分にはそれが非常に面白く、從つて成蹟も好く常に甲點を得て居つた。其後自家の都合上、商業學校へ入る事と成つた。學校が學校であるから圖畫課は只一年級にあるのみで、それとて一週に一度一時間しか無い、然も用器畫ときた、實に其時は失望した何面白くもないと思ふて居たつがそれも只一學期間のみで初歩を濟し、第二學期となつては鉛筆畫となつた、これで少しは面白味も増して來た、第三學期となつては水彩畫と云ふ工合であつた、此時は實に嬉しかつた、繪具を使ふのが珍らしいやら面白いやら、此位愉快な事は無かつた。漸う水彩畫法を習つたかと思ふ間もなく、時日に關守なく、自分は第二年級に進んた、さあ、二年からは畫科は無いのである、實に失望した、自宅で畫筆をとらふにも、簿記や経濟、英語や代數に苦しめられて、ついぞ畫筆を手にする閑の無き無念さ、繪具、畫筆、箱底に押込めたまゝ、卒業の機は迫つた、丁度其頃世間では繪葉書が流行しそめた、自分は家事の都合で卒業後職にも就かず、徒らに兵役の來るのを待つて居る身分である從つて用事もなく、至つて閑散である、折から昔年の畫趣味を呼び起し又候繪具筆は箱底から机上に現はれる事となつた。それが丁度一昨年の春で、『水彩畫栞』も其時求めた、讀んで見ると、「修業には寫生が一番利益が多く且吾々の眼前には常に材料豐冨、井戸端でも乃至本でも机でも、有りと有るもの皆寫生の好材料である」と書いてあるし、且自分も閑暇の多い身分、たまに店番をする位な事であるから、先づ手近な店頭寫生をやつた。帳簿、酒樽、煙草入、など主なる材料であつた。
之を要するに余が水彩畫に志した最初の動機は少年時代繪畫趣味の感化が徴兵を待つ身の閑散な時分而も繪葉書流行の機を得て萠芽したに過ぎぬのである。