水彩畫の初研究
山本野琴
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日
私は固より、畫の天才の無い、頗る付の不器用な人間でありましたが、一昨年八月初旬、同好の友三人とで、青梅町に在せし大下先生のお宅へ參つて、種々先生の有益なお説話を拜聽したのみならず、目新らしい先生の寫生畫や、お集めになつた葉書帖を見て、あゝ寫生畫の美しいことよ、あゝ『繪はがき』の麗はしいことよ、と蠻趣味な私のやうな者も、美的の感にうたれたのです、それ計りか、自分のやうな者もドウカ、一寸したスケッチ位、出來るやうになりたいと、此時始めて水彩畫を學びたいと云ふ熱望が出たのです。
爾來、親友島田晩韻君に先生の著『水彩畫の栞』を借りて、熟讀したり、抜抄したりして、本年になつて繪具を求めて、事業の餘暇、下手乍ら、野外寫生や、室内寫生をして、唯一の娯樂として居ります。
今まで、左程目にも止めなかつた、附近の風光も、繪具を求めてから、否、畫を學ぶやうになつてからは、牛飼ふ小家の趣味に富める樣や、野に生へる、小さな草花の可憐な樣などが、目に映るので、あゝあの牛小家はドゥ畫かう、あゝあの草花はドンな色で畫かうかと、色々な感想が浮んで來る、而かも微細な自然の現象にまでも觀察力を増すやうになつたのは、まこと、水彩畫研究の賜物であらうと信じます。