水彩畫と哲学

KH生
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日

 カントの看破せし如く宇宙は主觀の産する處である、僕が水彩畫を習ひ初めてから宇宙は一大變動を起し出した、今迄は單に「青い」とばかり思て居た空や草原や海も今は皆それそれ特殊の美を發輝して居る、けれども之れは宇宙が變化したのではなく僕の主觀が水彩畫的になつた爲め其美を認める事が出來る樣になつたのである。
 厭世家の眼には萬物皆不快の色を帶びて映るであらう、けれども水彩畫を學ぴつゝあるものには一樹の蔭にも美の神の宿り給へるが如く見へて、大下先生の云はれた通り實に大なる繪畫の中に棲息して居る樣な愉快の感がある是れだけでも吾人のライフを幸福ならしむべく大なる効能があると思ふ。

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