道樂的にと
T、K
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日
僕は數年前より胃を損じ、其後慢性となつて、地方醫の姑息的治療では治する見込がないから、名醫の診察指揮を受けんと、客年末大學病院某博士の自宅にて受診の結果、神經衰弱並に胃酸過的症、胃擴張症の併發症で過激なる運動讀書等は不可なるが、繪畫と音樂とは害少きのみならず寧ろ勸めると云はれたので、繪畫を見て快に感ずる趣味は前より有したから、道樂的にやつて見る事を决心した、さて日本畫は筆法が面倒たと云ふ話だから趣味多き洋畫をやる事にし、先づ水彩畫を習ふ事として、東京堂にて大下先生の水彩畫階梯及ひ種々なる臨本類を參考として買ひ取り文房堂にて極めて節約して用具一式を整へたのが動機となつて、引續き紺屋繪的の畫を作つて獨りで樂しんで居ます。