生來の不器用者

藤野羊蹄
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日

 「君の樣な不風流男が繪畫の稽古を初めた所でなんになる」と僕を評した人がある位生來の不器用者で小學時代に學んだ鉛筆畫さいも十年後の今、進歩は愚か大に退歩して居るので誠に恥かしい譯であります、繪葉書の流行は慥に日露戰役が預て力あると同じく僕も多少筆を探る事が出來たならばどんなに愉快だらうと思ふ中、恰も善し友人より水彩畫に經驗のある知己の人を紹介して呉れました、然し先方も俗事に忙殺せられて居る處から未た親しく教を受けませんが暇々には大家の水彩畫葉書などを手本として覺束なくも、稽古を初めて居りました、が愈々一心に勉強しようと决心しましたのは一二年の後或る片田舍に田園生活(百姓の事も謂ひうべくば)をする事になるので、今の中に稽古を積まんければ、折角捕へた好機を失ふと思ふて熱心に研究して居ります、どうか貴誌が良師友となつて教へ導びかれんことを希望します。

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