人の知らざる愉快を
山脇生
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日
昨年の秋であつた、學校の歸り途に日比谷公園へ立寄り「グラウンド」の東南隅の「ベンチ」に倚りて眺望すると、擲躅は夕日をあびて紫紺のような艷のある色で、蜿々として起伏してるさまは花のそれよりも趣きがある。其又後の建造物は、腰間樹木を點綴して聳えてゐるはよい景物である、あゝ繪か畫るならばこのよい景色を自由に「スケッチ」帖に挿入して人の知らぬ愉快を得るのであらうと思ふたのが、水彩畫に志す最初の動機なのであつた。
山脇生
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日
昨年の秋であつた、學校の歸り途に日比谷公園へ立寄り「グラウンド」の東南隅の「ベンチ」に倚りて眺望すると、擲躅は夕日をあびて紫紺のような艷のある色で、蜿々として起伏してるさまは花のそれよりも趣きがある。其又後の建造物は、腰間樹木を點綴して聳えてゐるはよい景物である、あゝ繪か畫るならばこのよい景色を自由に「スケッチ」帖に挿入して人の知らぬ愉快を得るのであらうと思ふたのが、水彩畫に志す最初の動機なのであつた。