應募畫について
『みづゑ』第十一
明治39年4月18日
○應集の繪畫は總計百餘點で、中には見るに耐えないものも少々はあつたが、慨して佳作が多かつた。
○紙數を増し、繪も増すといふ事は、此小册誌の耐え得る處でない、隨て石版に寫眞版に、佳作の大部分を洩したのは遺憾とする處である。
○石版刷にした三枚は、勿論應募畫中の出色ではあるが、是等が第一の傑作といふ譯ではない、寫眞版のうちに之に勝つたものも二三點はある。
○夫にも不拘此三點を選んだのは、比較的石版に成功し易い圖抦であるからで、何んな繪でも石版に刷る事は出來るが、初めから不結果と知れてゐた爲め寫眞版にしたのである。
○膏に石版のみでない、窺眞網目版でも色が餘り薄かつたり、強い黄色の塗つてある繪などは、折角印刷しても何だか判らぬものになる。相摸の成瀬氏の繪も、寫眞に迄撮つたが到底無益と見て、製版を見合せた。
○青梅瀧島氏の繪は、今回の應募ではないが、よく早春の趣が出てゐる好スケツチであるから登載した。
○岩代若松の相田氏は、繪ハガキ競技會に屡々佳作を出さるゝが、此應募畫も氏の作として有數なもので、色は少し淋しいが全體の調子もよく、見飽きのせぬ繪である。
○攝津の中臺氏の造船所は、色の統一に缺けた處はあるが、描法も面白く、取材もよく、氏の寄せられた五六點の作中では第一に推すべきものである。
○本郷、松原氏の作は、ワツトマン八ツ切大の月夜の繪で精密に描寫されてあつた。惜しい事には月と道路とに連絡がなく、視點が畫面に幾個もあるやうで統一がない。併し忠實に寫された點は敬服する。
○岩代赤城氏も多數のスケッチを寄送せられた。何れも達者な筆つきである、氏の如きは將來有望のアマチユアである。
○石見の後藤氏の繪も同じく澤山來てゐる。昨年初めて氏の繪を見た時に比べると多大の進歩である。只少しく濫作の氣味なきや、編者は氏に向つて尤も精力を籠めたる寫生畫を作られん事を希望する。
○麻布の池田氏の作も忠實なよい出來である石版に附する價値は充分あるのであるが繪が孰れも和かに出來てゐて製版が困難であるから割愛した。
○相摸の大橋氏は、近來色が濁つて筆が細かに過ぎ、久しくよい作を見なかつたが、此度の雨は筆致も大膽で、其時の感情もよく現はれてゐる。たゞ前景が少々粗漫であると思ふ。○富岡柴崎氏の作はちと後生大事の處が見える、今一歩着眼を大にせられたい。
○伊勢、岡本氏の作は色が淋しい、前途遠しである。第二回の企の時は一層よいものを出されたい。
○日向の佐野氏の初春は、空の色がよい、山も可りよく寫せてある、前景はまるで物になつてゐない、研究を重ねられたい。