序文[最新水彩畫法のために]

小島烏水コジマウスイ(1873-1948) 作者一覧へ

小島烏水
『みづゑ』第五十四
明治42年9月3日

 繪畫の門に入るまでの動機として、およそ二つの途があるやうだ、他人の作品を觀て、繪畫に趣味を覺え、彩筆を握つて自然に對するに及んで、始めて今まで無意味に看過した自然が、漸次に秘密の衣を、自分の前に脱いで、その本相を現はして來るやうになるのが一っ、即ち外部よりの刺戟で、繪畫といふ緑から、自然といふ因に還へるのである。他の一つは、自然に包擁せられて、それと親しむとき、自然の形體、色彩、變化を通じて、惹き起す情感を、最も恰好な樣式で、表現しやうとして、文章、音樂、彫刻、それも皆非なり、繪畫に就くに及んで、色の明暗、調子の高低、皆自然の含蓄ある暗示であることを、知るに至るのがそれで、即ち内部の要求から、自然といふ因に初まつて、繪畫といふ縁に達するのである。勿論畫家として立ち得るまでには、性格、才能、嗜好、境遇等の諸約束も備はるのであろから、以上の二大道が、一切であるとは言はない、併し大概はこの二大道が、或は併行し、或は交叉するところを、畫家、及び畫家たらんと欲する人々は、踏んで往くやうである。
 抑も繪畫と自然の關係を見るに、名畫に對するときには、その紙なり、カンヴァスなるを忘れて、奔放動揺の、自然それ親らではあるまいかと思ひ、又自然に接するときは、その盲動的に行動する空氣なり、流水なりを忘れ、無意識に生々欣榮する草木であることを忘れて、宛ら絶大意識の手に、工匠せられたる繪畫ではあるまいかと惑はれる、自然はそれ自身に於て、原始的美術品である、繪畫はこれに、人間情感の陰影を翳した、再現的美術品である、その一を缺いて造形美術に、何處にも存在しないから、繪畫習作といふ名辭の中には、如何に自然を觀察すべきかといふ鑑賞法と、又如何に繪畫を描くべきかといふ技術面の、二意義を貽してゐる。
 同じ繪畫でも、我等の祖先傳來の日本畫がある、近代の輸入に係はれる西洋畫がある、幾んと發達し盡くした日本畫と、未だ生ひ立ちの境にある西洋畫と、孰れが長い、又希望の多い未來を有するかといふことは、自明の理であるが、同じ西洋畫でも、水彩畫は、油繪に比べて、一層新らしい産物である、日本に於て殊に然りである。
 日本人に水彩畫の多く悦ばれる理由は、本篇の編者なる、大下藤次郎氏が、水彩畫家としての立脚地から、我國民の性情、趣味、室内装飾の關係等より推して、日本將來の繪畫は、水彩畫に統一せられはしまひかと、精論せられたことがあつたが、私は國民性情史の上から觀て、猶一を加へたい、日本人は最も新らしきものを攝取吸収する點に於て、いかなる進歩的國民の後にも落ちない、繪畫と姉妹藝術なろ文學に於ても、古典趣味などに囚はれずに、殆んと一足飛びに浪漫的から、自然主義に入り、同じ詩でも本邦固有の、和歌俳句の如き古樣式を、惜し氣なく捨てゝ、新國詩を作り、或は口語詩に入つたやうに、便利なる體式を假りて、自由なる思想感情を開展するのに專らである、油繪は油繪として、他の及び難い特長があるとしても、その澁濁濃厚に比べて、我が新人の多くが、氣候と、國土と、空氣とに、先天的に陶冶された性情を率ひて、輕快、透徹、鮮明、凛烈なる、水彩畫に入るのも、故あるかなと思はれる。
 私はこれといふ明らかな理由を組み立つることなしに、水彩畫といへば、官能の鋭い、新らしい匂ひのある、若葉青葉を憶ひ出さずにはゐられない、展覽會へ行つても、油繪の中に、水彩畫の交つてゐるのを見ると、深山の年經る針葉樹の枝先から、蒼玄い葉を掻き分けて、その尖端に、柔らかな明る味の克つた、嫩翠鮮緑の葉が、二三分も抽き出たやうな心地がされる、顧れば日本畫は、無殘にも肉皮脱落した枯木である――これは價値論ではない、樣式の約束から生じた、發育状態に就いて言ふのである。
 私をして更に踏歩して言はすれば、今日の展覧會で見る日本畫の中で、少しく新意あるものに、概ね水彩畫に近似した筆法を使つてゐる、油繪と雖も、邦人の手に成れるものは、何となく調子が水彩畫的傾向を帯びてゐる、これから先に、日本化した油繪の成立が、許されるにしても、日本人は東西兩洋繪畫の契點を、水彩畫に見出さうとしてゐるのではあるまいかといふ期待を、空しうするに足りない。
 編者の一人たる大下藤次郎氏は、未だ一般邦人が、水彩畫の名をすら知らなかつた時分に、水彩畫の何物なるか、又如何にして描かるべきかを、國民に教へた先達である、私は文學に於て讀者である如く、繪畫に於て觀覧者である、稟受の僞はらざる告白を敢へてすれば、太平洋畫會の宿將であり、水彩畫研究所創立者の一人であり、獨力を以て水彩畫の趣味及び研究を普遍ならしむるために、今日までに『みづゑ』五十餘册を刊行し、各地に講習所を起し、一擧手一投足、斯道に入るの路を拓かぬといふことのない大下氏は、天成の教育家である、按ずるに日本現代の洋畫界は、未だ収獲の時代でなく、播種育成の時代であらう、この點に於て、殊勲を擧ぐること、當代誰か能く大下氏の右に出るものがあらう、これは爭論の餘地を絶した事實問題である、『最新水彩畫法』は斯の如き時代に於て、斯の如き人の手に成つたのである、内容は大下氏以外には、石川、丸山、其他、諸先覺の講演をも収録されてゐる、全國に散在して水彩畫を學ばんとする人々のれめに、「建築なき校堂」は、こゝに又一つの堅固なる隅石を加へられたのである。
 自然は如何に觀察すべきか、繪畫は如何に描くべきか、大下氏並に諸先覺の自由校堂は、二大道交叉の中心點に立つて、繪畫を貫ぬいて自然に來るものと、自然を拉して繪畫に向ふものと、兩樣の新人を招致してゐる。
 富士裾野の小旅行より
 滿身若葉の匂ひを浴ひて歸りけるときしたゝむ
 五月末日小島烏水

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