圖按法概要[八]圖按の品位と調和(上)

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比奈地畔川
『みづゑ』第五十四
明治42年9月3日

 圖按を製作するに先つて知り置くことがある、それは其製作せし處の圖按を實地應用すべき處の工藝品の製作方法手段である、自から手を下して作らぬまでも此製作方法を知らずして圖按を作るに一口に云へば無謀である、若之を知らずしては到底其圖按が如何程華麗に出來た處が幾多の欠點が出來易い、また出來ぬまでも完美なるものと云ひ得るかどうかは疑問である。
 自然から資料を得ることは前項に述べた通りである實物に拘泥せず嶄新なる意匠清新なる模樣を得なくてはならない、豊富なる想像と該博なる智識の必要は勿論であるが、形状に於て色彩に於て變換し交混し、或は雄大に或は繊細に、或は濃★に或は洒脱に、造化の妙と翻案の奇とを以て趣味あるものを作らなくてはならない。
 扨て此等から得た圖按に備はる處の風致品格、即ち我々が圖按に對して受くる處の感情の有樣は、人々の性質嗜好習慣等によつて差異はあらうけれども、假りにその感應を區別して
 尊嚴高尚優美温雅滑稽奇異
 等に類別することが出來る、それは其圖按に用ひられたる資料そのものゝ性質、今一ッは其形状及び色彩の表はし方に依つて、或は組織上の作用に因つて異なるのである、例へば獅子、龍、麟麟などを資料として用ひられてあつたならば、誰しも鄙俗な感じはせず高尚な尊嚴な感がするであらう、亦鶴とか鳩とか蝶とかが用ひられてあつたならば、優美な且つ温雅な感がある、尚細かく云ふと同じ植物でも牡丹と菊とは自ら其趣味が異なる、櫻と水仙とは大ゐに其趣が違がう、百千の事物皆然りである、或は線面等の關係から云ふても、直線を應用したるものは一般に嚴格に高雅であるし、曲線を以てしたるは婉麗に華美である、(繪畫の上から見ても雪舟などの筆意の直線的なると浮世繪派の筆意の曲線的なるを見ても判かる)色彩の上からでも各其感じを異にするのは勿論である、(これは色彩の部に詳説する)
 材料の上から見ても、木竹と金屬とに相違し、陶磁器と漆器とは自ら其趣味を異にしてゐる、圖按を考按する場合には最も留意を要する點である、神社佛閣などに應用する樣式と、人家住宅などに應用するものとは、自らその趣味を異にし、書籍又は携帯品などの圖按と廣告繪看板などの圖按とは、自から其表出方法が違がはなくてはならない。
 亦樣式の配合上組織上に於て、複雜なると簡單なうものと此等の中庸なるものとがある、恰も書體に眞行草の三體があるやうなものである、圖按を應用する場合に、此三者の調和連絡取捨が必要であるし、煩簡は宜しく經驗と智識とによつて其適用の度を認識しなくてはならない。
 それから、圖按の品位といふことは、圖按家の品位と云ふことゝ殆んど同樣である、これは屡々前項に述べたことである故再び云ふの必要はないけれども、圖按の品位圖按の氣韻などゝいふことは、美術工藝品の生命たることを忘れてはならない。
 一體美術品を直ちに贅澤品と一般の人は解して居るやうだ、これは間違つて居る、價の高いものが直ちに完美なる美術品と思ふて居るのと一般である、全體往昔に社會に階級制度が嚴存して居た故、一般の趣味は高い處にも低い處にもあつた、亦極めて質素なものゝ中に大なる美を認めることが出來たのである、然し近世は金力主義である、黄金の力を以てすべての物を支配するし黄金の力が標準となるやうになつた、美術品美術工藝品の價値もこれで定めるやうになつてしまつた、然し社會人心の傾向がどうなつても、我々は美術品を贅澤品として混淆するやうでは困る、美術家工藝家が名聞の爲めに左右せられるやうになつたのは歎かはしい――吾々はどこまでもすべての物の上に眞の趣味を認めろことを忘れてはならない―――(禁轉載)

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